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2008年1月31日 (木)

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小笠原旅行記7・小笠原ビジターセンター【東京都・島旅・ファミリー】

小笠原の情報は極端に少ない。
正直、小笠原にはどんな見どころがあり、どんな歴史があるのか・・・
あまり下調べをすることもできないまま、この島にやって来てしまった。
現地に入ってから、パンフレットや観光案内所で情報を得るのが良いだろうと、今から情報収集だ。
現地で情報が手に入れられそうなところは、、旅客ターミナルの観光案内所、通りの一番奥にある商工会館(B-しっぷ)、そしてこの「小笠原ビジターセンター」
ビジターセンターでは、小笠原の歴史と自然を知ることができる場所だ。

ビジターセンターは、大村海岸に面した芝生公園の一角にある。
おがさわら丸乗船場から歩いておおよそ10分で到着する。
入館料は無料。誰でも気軽に入れる。
また、おがさわら丸入港日などは、無料の周辺の案内ツアーも催行している時がある。
小笠原ビジターセンター
入口から建物の中に走ると、ロビーには小笠原の伝統的なカヌーが展示している。
その他にも、小笠原の入植初期の家の再現や、小笠原諸島の生い立ち、自然や動植物を開設したパネル、ビデオ紹介など。
小笠原を知るいろいろな展示があり、とても興味深い。
図書室もあり、小笠原に関する本や文献が備え付けられていて、閲覧することもできる。

特にこれら展示の中でも目を引いたものは、自然環境保全と、小笠原の歴史。
小笠原諸島は今まで一度も大陸と陸続きになったことのない海洋島。
火山活動でできたこの島には、風や流木に乗って渡って来た動植物たちのが独自に進化した特異な生態系を持つ。
しかし、最近の人間の渡航による外来種の流入、家畜の野性化は、競争に弱い小笠原の生態系を破壊しつつある。
そのために外来種の駆除や、固有種の保護が島を上げて取り組まれている様子が紹介されている。

また、小笠原諸島は太平洋戦争時代に米軍との戦闘があり、1967年まではアメリカに占領されていた場所。
その特異な歴史の紹介もされており、アメリカ占領時代の小笠原の写真も多く飾られている。
期間限定だと思うが、ちょうど「硫黄島」のビデオが流されていた。
映画「硫黄島からの手紙」に出てきた、日本軍が全滅するまで戦ったあの硫黄島は、この小笠原諸島の南部に属する。
映画に使われた悲しげなピアノの音楽が流れ、硫黄島の紹介が流れる。

硫黄島は、現在は自衛隊の施設があるが、一般人は行くことができない。
しかし、戦前は多くの1000人前後の人が住んでおり、戦火が激しくなるにつれ、本土に強制疎開させられた。
小笠原諸島返還後も硫黄島への帰還は許可されず、今も多くの元硫黄島島民がこの父島で暮らしているそうだ。
元硫黄島島民や硫黄島戦没者遺族のみ慰霊訪問での上陸が許可されている。
島には多くのトーチカや砲台、地下壕が残り、慰霊碑も多く立てられている。
あの映画で見た戦場が、そのまま残っている。
そして、硫黄島に残っている戦跡は、この父島にもいたる所に残っている。
そう、今僕がいるこの父島は戦場だったのだ。
今でも魚雷に攻撃され漂流した軍事貨物船が父島の海の浅瀬に打ち上げられている。
そして今も錆びついた機関銃や砲台が、いるはずもない的に向けられてジャングルの中で眠っている。
驚いたことに、アメリカの41代大統領、ジョージ・ブッシュもこの父島で、乗っていた戦闘機を地上からの砲撃で撃墜されている。
ビジターセンターから望む大村海岸
思わずその特異な自然と歴史に釘づけになり、長居をしてしまった。
南国の日差しも大分傾いてきた。
ビジターセンターの裏庭からも、大村海岸のエメラルドグリーンの海が眺められる。
若い旅人がここに座り、美しいビーチをいつまでも楽しんでいた。

美しい稀有な小笠原の自然は、悲しく悲惨な戦争の跡を優しく包み隠していた。
小笠原ビジターセンターの地図
【小笠原ビジターセンター】
■My評価(5段階)
★★★★(4.0)

場所:東京都小笠原村父島西町
電話:0498-2-3001
時間:8:30~17:00(12:00~13:30は休憩)
    8:30~21:00(繁忙期、休憩12:00~13:30)
休館日:土・日(おがさわら丸の入港日と繁忙期はオープン)
利用金:無料
交通:二見港(フェリーターミナル)より徒歩7分


小笠原ビジターセンターの地図 

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2008年1月29日 (火)

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霧氷の石墨山1・稜線への登り【愛媛・登山・グループ】

この日は日本三百名山のひとつ、標高1756mの「伊予富士」に会社の上司と登るつもりだった。
しかし、1月22日に石鎚山の山麓東側に、記録的な大雪が降った。
石鎚山の東側に位置する伊予富士にも雪がたっぷりだろうと喜んでいた。
が、寒い日が続き、日が全く照らない曇天も続く。
登山口まで車でアプローチできるだろうか。
登山道はラッセルが必要だったり、雪庇など危険個所はないだろうか。
そんな不安が石鎚山の姿を見た瞬間、大きく膨らむ。
今まで見たことがないくらい、石鎚山が真っ白になっている。
信じられないくらいの雪の量だ。これはうかつには近づけない。
急きょ行先変更。向かったのは標高1456mの「石墨山」
石鎚山の西側にあるので大雪の影響も少なく、見上げるときれいな霧氷も付いている。
これなら何の心配もなく登れそうだ。
石墨山登山口入口
石墨山の登山道入り口。
小さな看板が立っているところから山に入っていく。
道は国道494号線。うっすらと雪が積もっているがアイスバーンなどはない。
4WDならノーマルタイヤのままここまでは軽々登ってこれる。
1~1.5車線の道が続くが、この時期は交通量も少ないので、離合の心配もしなくてよい。

登山口に車を停め、アイゼン装着をする。
久々に、土を1回も踏まずに頂上までの雪道を楽しめそうだ。
駐車場、路肩には車が10台ほど停められる。
割石峠から稜線を目指す道
登山口からはしばらく人工林の中の登り。
その後、開けた場所に出ると、東温高校の山小屋がある。ここが割石峠。
ここから幼木が密生する斜面を登っていく。
雪の量も少しずつ増えてきた。
振り返ると石鎚山
振り返ると、真っ白に雪景色した石鎚山が神々しくそびえている。
とても温暖な愛媛県の風景とは思えない。
まさに信州の2000m級の山の姿だ。
稜線直下の急斜面
割石峠から、石墨山稜線を目指す道には「つづら折り」という言葉はない。
山の斜面を緩やかだろうが、急だろうが一直線に登っていく。
そのためこんな、ロープにつかまらないと登れない急な坂もある。
雪の積もった急坂を登るのは、なかなか疲れる。
稜線から白猪峠を望む
やっと稜線についた。
待っていたのは、素晴らしい雪と霧氷の絶景。
「うおお~、すごい」思わずその美しさと急登を登りきった喜びに声を上げる。
写真左上には、遠く瀬戸内海に浮かぶ島々も見えている。
霧氷の向こうに見る石鎚山
霧氷の向こうに望む石鎚山。
石鎚山の頂付近は深い雪が積もり、すそ野の下の方まで霧氷がびっちりと覆っている。
雲の上に頭を出した、西日本最高峰らしい、素晴らしい山容だ。
これだけ真っ白になった石鎚山は、愛媛に4年以上住んでいるが、滅多に見たことはない。
真っ白な冬の石鎚山
石鎚山をアップで。
写真中央のちょうど中央の尖っている部分が石鎚山頂上。
写真ではわかりにくいが、この尖っている部分は山肌でなく、石鎚頂上小屋だ。
普段ならここからその形ははっきりとわかるが、すっかり雪に埋もれてしまっている。
石鎚は相当な積雪だったと容易にうかがい知れる。
やはり、今日は石鎚山系に行くのはやめて、この石墨山に来て正解だった。
霧氷もきれいだし、軽アイゼンが気持ちいい雪の深さだし、何といっても石鎚の眺めが良い。

ここからはこの美しい石鎚を左に眺めながら、霧氷となったブナ林の中を抜ける雪の稜線を行く。
美しい風景を楽しみに、霧氷の森の中へと入っていく。
しかし、稜線に出てから、一気に気温が落ちてきた。
歩き始めたころには、登りで火照った体は、稜線を渡る冷たい冬の風に一気に冷やされていた。

石墨山登山地図

石墨山の地図

◆紅葉の時期の石墨山

2008年1月28日 (月)

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小笠原旅行記6・大村海岸 【東京都・島旅・ファミリー】

大村海岸
ウミガメの赤ちゃんがすべて青い海に旅立った後、祝福するかのように、曇り空から日が注ぎ始めた。
曇り空に淀んだ海には命が宿ったかの様に、鮮やかなエメラルドグリーンが広がった。
今、目の前にあるのはまさに、南国の海。

父島の中心街、「大村地区」の西端に位置するこの大村海岸
大神山公園(広い芝生広場)の向こうに、広がる美しいビーチだ。
フェリーや多くの漁船、クルーザーの港である二見港に面していながら、その水の美しさは半端ではない。

白い砂浜はとエメラルドグリーンのコントラストは小笠原に到着した実感を強烈に与えてくれた。
ビーチにはゴミも落ちておらず、とても町の中にある海岸とは思えない美しさ。

更衣室やシャワーも完備されていて、海水浴にはもってこいだ。
民宿、ペンションが集まる父島の通りからも一番近いビーチで、内湾なので、波も穏やかで、気軽に海に親しめる。

沖に停泊しているのは、豪華客船「きそ」
年末年始の恒例のクルージングで今、小笠原に訪れている。
巨大な船体は二見港の岸壁に停泊できないため、沖に設置したブイに係留されている。
豪華客船が浮かぶエメラルドグリーンの海なんて、本当に日本では見ることができない海外の風景だ。

ちなみに小笠原・父島の海開きは元旦。
日本一早い海開きだ。
この日はウミガメ放流などのイベントが、この大村海岸で行われる。
初泳ぎのイベントはもう終わったようで、誰も海には入っていなかった。
しかし、この日に海で泳いだ人には、日本一早い海開きの参加証が渡されていた。

大村海岸には「小笠原ビジターセンター」がある。
小笠原の自然や文化、歴史を知る都ができる。
小笠原に初めて訪れた僕にとっては、ぜひとも行っておきたい場所。
いつまでもここで美しい海を眺めていたかったが、残念な気持ちで波打ち際を後にした。
大村海岸の地図
【大村海岸】
■My評価(5段階)
★★★★(4.0)

場所:東京都小笠原村父島
アクセス:船客待合所(おがわら丸乗船場)から徒歩10分弱
設備:トイレ、シャワー
近隣施設:大神山公園(芝生広場)、小笠原ビジターセンター、聖ジョージ教会

大村海岸の地図 

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2008年1月27日 (日)

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浅草寺・師走の東京観光1 【東京都・電車・ファミリー】

時はさかのぼり2007年12月30日。
世の中は新年を迎える準備で忙しい中、僕は東京にいた。
新年を小笠原で過ごすために、遠く四国から夜行バスで上京したのだ。
船の出発は明日の大みそか。
せっかく東京まで来たのだから、少しでも観光しないと勿体ないと、朝早くから東京の町にくりだした。
雷門
まず訪れたのは「浅草寺」
「ど」がつくほどの定番の東京観光のスポットである。
特にこの「雷門」は誰もが一度は写真や雑誌、テレビで目にしたことがあるだろう。
何度か僕も浅草寺を訪れているが、なんだか無性に行きたくなった。
これから日本らしくない南国でお正月を過ごすのだから、少しでも日本の年末の風物詩を見ておきたい気持ちに駆られた。
雷門の前は、記念撮影をする人でごった返している。
仲見世通り
年末にもかかわらず、「仲見世通り」は大賑わいだ。
しかし、明後日の元旦にはこんな人出では済まないだろう。
通りの脇では、関係者が急ピッチで新年の準備に取り組んでいる。

しかし、「ど」がつくほどの定番東京観光スポットは、「ど」がつくほどの日本の観光スポットでもある。
一見違和感なく多くの人が歩く参道からは、違和感ありまくりの言葉が飛び交う。
この、なんだか怒っているような早口は中国語・・・
この通りを歩いている人の半分近くは中国人の観光客?
こんなところで、急速に頭角を現す中国経済の威力を思い知らされるとは・・・

仲見世通りの両脇を固めるお店をめぐるのも楽しい
伝統ある品々を手にするのも良いが、それ以上に「絶対日本を勘違いしている」外国人向けのお土産を見るのが面白かった。
謎のTシャツや、謎の置物、謎のステッカー・・・
しかし、この手のお土産を我々日本人も海外で、現地の人に冷笑されながら買いあさっているのかも知れない・・・
宝蔵門
宝蔵門をくぐると本堂だ。
ここも人が多く、全体がわかる写真を撮ったが、写った人の顔にモザイク入れるのが億劫なので、こんなひねくれた写真を載せる。
しかし、年末とは思えない程温かく、小春日和。
突き抜けた青空が、寺院の朱を鮮やかに浮き上がらせていた。

本堂はとても大きくて荘厳。多くの人が御参りをしている。
さあ、僕もこれからの航海の無事を祈願しよう。
「ぱん、ぱんっ」と二度柏手・・・
妻がすかさずツッコミ入れる。「ここ、お寺なんですけど・・・」

あっ、しまった。神社と間違えた・・・
外国人観光客にまぎれて笑って済まそうとした僕を、仏様は許さなかった。
この後、アンビリーバブルな天罰が下る・・・

浅草寺の地図
【浅草寺】
■My評価(5段階)
★★★★(4.0)


場所:東京都台東区浅草2-3-1
電話:03-3842-0181
交通:地下鉄浅草駅から徒歩5分
駐車場:なし
時間:通年・6:00~17:00(10~3月は6:30~)
参拝料:無料

浅草寺の地図

2008年1月26日 (土)

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石鎚山じゃなくて、石墨山

石鎚山じゃなくて、石墨山
石墨山に登って来ました。 本当は石鎚山系の山に登りたかったんですが、数日前の大雪の為、断念。 もう少し標高の低いこの山に登りました。 それでも雪がどっさりで寒い! 美しい霧氷の向こうに望む石鎚山は最高にきれいでした。 体が芯まで冷えましたが、ただいま温泉で蘇生中です。

2008年1月22日 (火)

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小笠原旅行記5・海に還る 【東京都・島旅・ファミリー】

父島の町の散策前に立ち寄ったのは、「ナ・ラーニ」というお店。
芝生がまぶしい父島ホテルの1階にある、砂絵やオリジナルTシャツを販売する店である。
小笠原滞在中、「ブルースカイビックホースツアー」のシーカヤックツアーとナイトツアーに参加を予定している。
そのツアー会社が経営するお店で、代金支払やツアーの詳細の確認に立ち寄った。

出迎えてくれたのは、SMAPの中居君に似たジロウさん。東京都認定自然ガイドの有資格者。
今後のツアーでもお世話になる、頼れるイケメンだ。
挨拶をしたあと、ツアーの手続きと小笠原の情報入手。
その間にも、地元の知り合いの方が「あけましておめでとう」と新年の挨拶をしに店に立ち寄る。
その言葉をきいて、今日が元旦であることを思い出す。
今まで寒い実家でおせち料理というのが、僕の「お正月」であった。
こうやってTシャツ1枚、短パンで南国の日差しの下での新年というものは、全く初めてで不思議な感覚だった。
父島のメインストリート
父島のメインストリートを歩く。
正直な感想であるが、思っていたよりも立派な町並みだ。
特に、おがさわら丸が入港した直後なので、多くの旅行者が歩いており、とても賑わいがある。
それに、町並は日本らしさが少なく、本当にどこか南国の異国を思わせる。

小笠原は日本の中でも特異な歴史をもつ。
小笠原諸島はもともと無人島で、170年ほど前にはじめてこの父島に欧米人5人とハワイ系住民15人が移住。
その後日本からの移住も始り、日本の領土と認められる。先住の欧米人、ハワイ人は日本に帰化。
戦前には小笠原諸島で7400人を超える人々が暮らすようになっていた。

しかし太平洋戦争で南方の重要拠点とされ、軍の施設が次々と建設。
1944年にはこの父島が米軍の大空襲を受けたことにより、小笠原の住民は全土に強制避難させられる。
その後、小笠原諸島は米軍に占領され、1967年までは父島はアメリカ統治下で欧米系の住人が暮らしていたのだ。

映画「硫黄島からの手紙」の舞台となった「硫黄島」は小笠原諸島の南部。
あの激戦の一部にこの父島もあった。
島を歩くと、あちらこちらに映画でも見たトーチカや地下壕が普通に残っている。

戦争の傷痕と欧米との文化交流、それが今の小笠原の風景にどこか遠い異国の情緒を感じるのだろう。

島の通りにはカフェ、土産屋、生活雑貨店。スーパーや生協が数少ないながら立ち並ぶ。
予想以上にお店の数も多く、買い物も不便なくできそうだ。
買い物は後で楽しむとして、まずは通りの一番奥にある「小笠原ビジターセンター」を目指す。

歩いていると、出発した冬の東京都は明らかに空気の香が違う。
東京は冬の無機質な冷たい空気だったが、小笠原の空気はとても温かく、緑の香りがする。芝生の香りだ。
通りに面する建物の多くに芝生の庭があり、気持ちのいい緑の香りと日本らしくない欧米的な風景をつくりだしている。
大きな芝生広場の横にビジターセンターがある。
しかし、その芝生の香と、その向こうに見える青い海にひかれて、まずビーチに出てみた。
大村海岸
【大村海岸】
白い砂にエメラルドグリーンの海。
天気が少しかげっているが、それでもとても美しい。
打ち寄せる波は透明で、海の中まで透き通って見える。
沖合には豪華客船の「きそ」が停泊している。
「きそ」の年末年始の小笠原へのクルージグは恒例だ。
だが、あまりもの巨大な船体のため、二見港には接岸できず、沖合に停泊している。

海岸には大勢の人だかりがあった。何かイベントをしているようだ。
ウミガメの赤ちゃんを海に還すようだ。
海に向かうウミガメの赤ちゃん
保護されていたウミガメの赤ちゃんを参加者がビーチに置くと、誰に教えられたわけでもなく、一斉に波打ち際を目指して歩み始める。
とてもたどたどしい歩み。
しかし、よちよち歩きの子供に「こっちよ」と母親が優しく呼ぶように、海が小さなウミガメたちを呼んでいる。
まだ波は高く、厳しい表情を見せるが、ウミガメの赤ちゃんにとっては母なる海。
いくつもの足跡を残しながら、ウミガメたちは波打ち際を目指す。
海へと旅立つウミガメの赤ちゃん
ついに波打ち際にたどりつく。
母なる海は自分の元に帰って来たウミガメの赤ちゃんを、乱暴なくらいに高い波で抱き締め、そして包み込むようにその美しい水の中に飲み込んでいく。
また一匹、また一匹、激しい波に乗って、ウミガメの赤ちゃんは小笠原のエメラルドグリーンの海に旅立っていく。
旅立ちの時。
すべてのウミガメの赤ちゃんが青い海へと旅立つと、周りにいた人から拍手が上がる。
なんだかとても感動的な瞬間だった。
今日旅立ったウミガメの何匹が、またこの小笠原の土を踏めるかはわからない。
でも、頑張ってたくましく育って、大きくなった雄姿をまた見せてほしい。

大村海岸の地図 

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2008年1月21日 (月)

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小笠原旅行記4・父島到着 【東京都・島旅・ファミリー】

絶海を行く船。気が遠くなるような航海に希望が飛び込んできた。
午前10時過ぎ。「島が見えてきた」と他の乗客の言葉を聞く。
船外デッキにに出てみると、遠くに島影が見える。
聟島列島の媒島
見えてきたのは、父島の北に位置する聟島列島。
小笠原諸島の一番北に位置する。ついに小笠原の海域に到着したのだ。
写真はその中の「媒島」
ここは戦前はごくわずかな入植者がいたそうだが、今は全くの無人島。
当時の家畜である山羊だけが野性化して生き残り、植生に被害が生じていると聞く。

しかし、とても温かい。もうコートやジャケットなど羽織らなくても全く大丈夫だ。
風は温かく、海の色は吸い込まれるくらいに真っ青。
小笠原諸島圏内に来た実感が一気にわき上がる。
聟島列島から目指す父島までは約50km。もうすぐ到着である。
父島列島の弟島
時間が11時を過ぎる頃、また島影が現れた。
ついに目指す父島列島の姿が現れた。
写真は父島列島最北端の弟島。
弟島・兄島・父島と北から寄り添うように、父島列島は構成されている。

いずれの島も、戦前は入植者がいたそうだが、今も人が住むのは父島のみ。
その父島は、もう目と鼻の先。もうすぐ楽園・小笠原に上陸だ。
船内アナウンスが流れる。
「間もなく接岸いたしますので、どちら様も上陸準備を開始ください。」
僕は部屋に急ぎ戻り、そして船内に広げていた荷物をバックに詰め始めた。
もちろんその時に、今まで来ていた分厚いジャケットをバックの中にしまい込んだ。

船の揺れはなくなり、速度が緩くなった。
出口へ楽園を求めた乗客が我先にと列を作り始めた。
間もなく父島に接岸だ。
25時間30分の予定時間プラス、この波での遅延20分、合計26時間弱の長い旅だった。

しかし、これといった本日の予定もなく、この船が本日の宿となる僕たちはあわてずにゆっくりとくつろいでいた。

今乗っている「おがさわら丸」は繁忙期には「ホテルシップ」という宿になる。
リーズナブルな宿の提供という意味ではなく、緊急避難的な意味合いがある。
前述したが、小笠原ではキャンプは禁止である。必然的に観光客は民宿等に投宿しなければならない。
しかし、おがさわら丸が到着した当日に再び東京に向けて出発しない日の夜は、いつもの2倍の観光客が島にいることになる。
要するに、翌日の便で東京に戻る観光客がまだ宿に泊まっているので、今日東京からたどりついた観光客が泊まるところがないのだ。
そのために、本日到着の観光客の一部はこの船の中で一晩を明かす事になる。

ホテルシップにも1等船室や2等船室、食事有り・無しでグレードが違い、料金が変わってくる。
幸いにも僕たちはこの船の会社の旅行パックで申し込んでいるので、1等船室が割り当てられることになっている。
本日はこのまま船に泊まることになるのだが、船内の清掃作業や荷降ろしのために、旅客が船内にとどまることは許されていない。
全員、到着とともに速やかに下船しなければならない。
二見港に入港する
船はゆっくりと父島の二見港に入港していく。
ついに、夢にまで見た小笠原に到着。
正月なのになんという温かさ。そして、この美しいエメラルドグリーンの海。
高まる気持は抑えられない。
しかし、もったいぶるようにみんなが降りてからゆっくりと下船しよう。
・・・そう思っていると、接岸したとたん、まるでシージャックした海賊のような勢いで係員が船室になだれ込んでくる。
そして、一斉に部屋の片づけが始まり、早く出てくださいと催促される。まるで戦場だ。
なだれ込んできた係員だが、まるで今までここで寝転んでいた乗客とほとんど変わらぬいでたちで、船の従業員とは思えない。
しかし、誰もが小麦色の肌をしていることから、島の若者のアルバイトかなぁと僕は勝手な想像をした。
二見港、おがさわら丸を降りる
ついに小笠原に上陸。やった、ついにやって来た。
乗客の行動は2つ。
プラカードを持った宿の人の車に乗り、ここを去っていく人。
そして、岸壁にある倉庫に荷物を預け、夕方のホテルシップのチェックインまで自由に時間を過ごす人。
僕たちの行動は後者だ。

到着の日は遅延や船酔いの事を考えて何のアクティヴィティも予定していない。
とりあえず、小笠原の情報収集を兼ねて、付近の散歩をするつもりだ。
小笠原の情報は少ない。特に出版という形での小笠原ガイドブックなど皆無に近い。
頼りの綱はネットサーフィンだが、小笠原のネット波は、この日の太平洋の本当の波と違い、随分穏やかだった。
おがさわら丸の荷役作業
乗客の下船が終わると、荷役の作業が一斉に始まった。
付近は一気に慌ただしくなる。
月に数回の物資の到着。乗客の次は物資が島のあちこちに運び出されていく。
まさに、この「おがさわら丸」は島のライフラインである。

そのおがさわら丸の後ろには、もうひとまわりもふたまわりも小さな「ははじま丸」が停泊していた。
この「ははじま丸」はここ父島と、小笠原のもう一つの有人島・母島を結ぶ唯一の定期航路。
ははじま丸という小さなライフラインにも、おがさわら丸からの物資が引き渡されていく。

僕は荷役作業をする人の中に、この島に移住して暮らしている知人の姿を探していた。
今日はこの荷役の作業をしているというのだが・・・どうもわからない。
それもそうだろう。と、言うのも僕は彼の顔を知らない。会ったことがないのだ。
彼との交流はもう何年にもなるが、知り合ったのはインターネット。
しかも、出会ったときに彼が住んでいたのは「ニューカレドニア」である。
ずっと「いつかは会いたいですね」と書き込んでいたのだが、時間と場所をはるか越えて、その出会いがついにここで叶うのだ。

見つからなくてもあわてることはない。仕事が終われば彼から僕のケイタイに連絡が入ることになっている。
彼とはまだ、声での会話もしたことがない。電話が鳴るのに少しどきどきしている。

散策用に荷物をまとめる。
小笠原はとても暑い。正月なのに日差しは初夏を思わせ、ジリジリと肌を焼く。
長そでTシャツ1枚で十分だ。

預ける荷物を詰めていると、急に体が不自然に揺れ始めた。
激しく揺れ、そして突き上げられる。陸に立っているにも関わらず。
船酔いにはならなかったが、過酷な航海の後遺症はひどい。
三半規管がマヒしているのだろう。海の上の揺れがまだ体感として続いている。
やっとあの荒れた海から解放されたのに、海の魔物はなかなか僕を解放してはくれないようだ。
気持ち悪いということはないが、ずいぶんと体がだるく、何をするにもおっくうに感じる。

それでも重たい体を持ち上げるように、ついに辿り着いた小笠原の町の中に歩きだした・・・

父島の地図 

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2008年1月20日 (日)

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小笠原旅行記3・絶海の太平洋での越年と初日の出【東京都・島旅・ファミリー】

船内にアナウンスが流れる。
「Cデッキ船外出入口を閉鎖します。外におられる方は中にお入りください。」
波が高くなり、海面に近い最下層の船外デッキを持つCデッキの扉が閉鎖されることになった。
閉ざされたおがさわら丸のデッキ扉
扉は鉄製の頑丈な扉を閉めて強固にガードされている。
荒波で窓ガラスが破られたり、船内に浸水しないためだろうか。
いずれにしても、いかにこれからの航海が厳しいものになるか、容易に予想できる。
この後も揺れはひどくなり、上層階のBデッキ、Aデッキからの船外デッキへの出入りが禁止された。

何もすることがなく、ただ寝転び、テレビに映る映画のビデオを見ている。
観ているのではなく、見ているのだ。
強い波が船の装甲を削るような音がひっきりなしに続く。
そして、時々船が縦に大きく揺れると船全体が押しつぶされるように、激しくきしむ音がどこからとなく立つ。
テレビから出る映画の音など聞こえないのだ。
大きく船が傾くと、そのまま海の底に沈んでしまいそうだ。
このまま暗く冷たい海の藻屑となるのか…そう思い、少し恐怖する時もあった。
ただ、枕もとを行ったり来たりして、時々頭にぶつかる金タライの姿には、何となく笑いがこみ上げてきた。

18時。船内放送が入る。
「船内レストランはただいまより営業を開始します。」
さて、夕食はどうしよう。
そう思っていた矢先、通路でインスタント麺に入れるお湯を運んできた男性が激しい揺れで派手に転んだ。
そのお湯が寝ていた別の男性にかかり、付近は修羅場と化した。
・・・カップめんは、やはり明日にするか。
レストランで2007年最後の晩餐をとることに決めたら、早々に移動することにした。
何せ500人ほどの乗客が乗っている船だ。いっせいにレストランに客が押し寄せると大混雑になる。

レストランへの移動は困難を極めた。
船の動揺は半端ではない。
右に左に、上に下に。容赦なく揺れつづける船の中を普通には歩けない。
半分かがみながら、手すりを持って、船の揺れに合わせて移動する。
船が傾けばその方向へ一気に進み、進行方向と逆に傾けばその場で踏ん張る。
何もなければ歩いて30秒ほどの距離を2,3分かけてやっとたどりつく。

レストランは思いの他すいていた。ガラガラである。
確かに、この激しい揺れの中、食欲がわかない人も多いだろう。
それに同じ階にいる僕たちでさえたどりつくのが困難だったのに、違う階にいる人がこの揺れの中を階段を昇降するのは至難の業だ。

レストランはレジの前にあるメニューから食事を選ぶ。
メニューを決めたら、事前レジで注文し、出来上がったら取りに行くというセルフ方式だ。

しかし、メニューから選ぶのも一苦労。
レジ前のカウンターの台につかまりながら、メニューを見る。
立ちながら文字を見ていると、一気に気分が悪くなった。
はたして大揺れの状態で、食事をできるのだろうか?あきらめて部屋に帰ろうかという気持ちにさえなってくる。
しかし、座っている人はごく普通に食事をしていたので、とりあえずせっかくここまで来たのだから、注文することにした。
おがさわら丸の島塩ステーキ定食
頼んだのは「島塩ステーキ定食」
本当はカウンターまで取りにいかないといけないのだが、この激しい揺れだ。
慣れた店員が激しい揺れに少しもこぼさずに持ってきてくれた。
これで1300円なのは、船の上の料金としては非常に良心的。
味もなかなかで、特に小笠原特産の島塩で頂けるのはとてもよかった。
しかしこの激しい揺れだ。さすがにビールは飲む気は起らなかった…

席に座ると、船は相変わらず大きく揺れているが、不思議に気分も落ち着き、おいしく食事をいただけた。
テーブルと椅子は床に固定され、テーブルの上に敷かれたビニールテーブルでトレーは滑らない。
トレーには滑らないシートが貼り付けられていて、皿も滑らない。
時々大きく揺れても、揺れ動くのは自分の体と、ステーキの肉汁だけである。
こんな激しく揺れる中での食事は初めてだ。
2007年最後の晩餐は、とても思い出深いものとなった。

無事に食事が終わり、また同じように壁や手すりにつかまりながら、必死に自室に戻る。
その途中、売店前でひとりのおじさんが真っ青な顔で倒れている。
「ビニール袋くださいっ。はやく。」
大慌てで船員が袋を渡すと、Φ∀Φ~☆(自主規制)
まだ船はつかないのか、もういやだ、助けてくれ。
涙ながらに船員に訴えるおじさんの姿が悲惨だった。

僕もそんなに船に強い方ではない。
しかしはじめて飲んだ酔い止めヶ強烈に効いているのか。
今のところ酔いはない。
しかし、どんどん大海原は乗客を地獄の底へと引きずり込み始めている。
途中に寄ったトイレでも、その悲惨な跡が残っていた。

今、海の魔物に魅入られた人々は、あと16時間も苦痛が続くのだ。
いや、小笠原から帰るのはこの船しかない。
天候が悪ければ、まだまだ地獄は続く・・・

部屋に戻ると、もう1錠酔い止めを飲み込む。
そうしていると立て続けに船内放送が。
「船の動揺が激しいため、シャワー室の利用を禁止させて頂きます。」
「船の動揺が激しいため、レストランの営業を短縮させて頂きます。」
もう何もすることがなくなった。
いや、することはあるのだが、この揺れの中、何かしようとすると体力を使う。
とっとと寝ることにしよう。

ふと気がつくと、もう室内は真っ暗で、大勢の乗客の寝息が激しい波音の中聞こえていた。
時計を見ると深夜1時・・・
・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
2008年になっとるやないか。
何とも最悪な、そして何ともありえない越年。
思わず苦笑いしながら、もう一度目を瞑った。

船は相変わらず揺れているが、不思議と眠りにはすぐ落ちた。
しかし、1時間おきに目が覚めた。その繰り返しで夜は更けていく。

朝6時。船内に電気が灯る。
朝が来た。
ごくわずかではあるが、船の揺れは小さくなっているような気がする。
乗客の中には上着を着用する人が現れ始めた。
僕も同じように上着を着用して、カメラをもった。
そう、初日の出だ。
船の上から眺める初日の出、何とロマンチックであろう。

階段から転げ落ちないようにAデッキへと昇り、船外へと出る。
出たとたん、風が違うことに気付く。
風には身を切るような冷たさはなく、涼しげな風である。
随分と南へ下って来た事を、今まさに肌で実感した。

まだ大きな揺れがある。
屋上に出ることをあきらめ、物かげで波しぶきを避けながら朝日を出るのを待つ。
が、水平線には雲が立ち込めている。
・・・だめか。
そう思っていたが、一縷の望みがある。
雲に一点、なぜか一点だけ穴があいているのだ。
2008年太平洋のど真ん中での初日の出
雲から光があふれ始めた。もう水平線の上には太陽は昇っている。
そして、ついにその時が来た。
雲にあいた穴から、一瞬だけ太陽が顔をのぞかせた。
2008年初日の出
見えるはずのない日の出を一瞬だけ不自然な雲の穴から覗かせてくれたのは奇跡か偶然か。
いずれにしても、この過酷な航海に耐える人々への神様からのプレゼントだったと思いたい。

空は一気に明るくなってきた。
この太陽が頭上に昇りつめたころ、この航海は終わり、楽園にたどりつくはず。もうすぐだ。

太平洋のど真ん中で迎えた神秘的な2008年初日の出、希望に満ちた光を浴びた忘れ難いものとなった。



・・・小笠原到着まで、あと4時間30分

◆小笠原旅行記目次ページへ

2008年1月19日 (土)

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小笠原旅行記2・試練の始まり【東京・島旅・ファミリー】

人がいない大晦日のビル街におがさわら丸の汽笛がこだまとなって鳴り響く。
それと同時にたおがさわら丸は煙をファンネルから吹き上げ、岸壁から離れていく。
ついに、絶海の孤島、小笠原・父島に向けて出港だ。
船のデッキへ出て、しばらく離れる本土・都会の風景に別れを告げる。
竹芝桟橋からのレインボーブリッジ
【レインボーブリッジ】
船の後方に見えている。
バックで少し進んだあと、船は180度方向転換する。
竹芝桟橋からの東京タワー
【東京タワー】
意外と竹芝桟橋から近い。
その雄姿は、小笠原から帰ってくる人のランドマークである。
しかし、最近では、超高層ビルの間に埋もれるようになってきた。
レインボーブリッジをくぐる
レインボーブリッジをくぐる。
真下からレインボーブリッジを見上げるのもなかなかないことだ。
旅立ちの時を実感する。
海から見るフジテレビ本社
【フジテレビ本社】
確かに、あの独特の形は遠くからでもすぐにそれとわかる。
大晦日の本日はとても忙しいそうだ。
海から見る羽田空港
【羽田空港】
息をつく間もなく、飛行機が離着陸を繰り返す。
ここから日本各地へ飛行機は飛び立っていくのだ。
僕たちも羽田の近くから旅立つが、今日中には小笠原には到着しない。
遠い旅だ。

年末は各地で大荒れが予想されている。
天気は良いが風はきつく、ずいぶんと波が荒れてきた。
外にいるのがつらくなったので、船内に戻る。

東京湾内は船舶の航行が多いので、さほど船はスピードを出さないらしい。
また、内海なので、まだ大きな揺れはない。
しばらくは、2等船室で快適な時間を過ごす。

時間は12時前になった。
揺れが出る前にお昼を済ませておこう。
乗船前に買っておいたインスタントの天ぷらそばを年越しそば代りに頂く。
船の通路には給湯器と流しがあるので、乗客にはカップ麺がとても人気だ。

しかしここで初めて知ったのだが、小笠原へ向かう船の中で出たごみは、すべて小笠原で処理されるそうだ。
人口2000人ほどの小さな父島のゴミ処分施設の能力は、お世辞にも立派とは言えない。
そんな施設で、この船に乗る500人をこえる観光客が持ってきた1日分のゴミを処分せねばならない。
特に、乗船中の手軽な食糧としてのカップめんの空き容器の処分は大変なのだそうだ。
小笠原は美しい自然環境の残る島。
そんな島を思えば、極力ゴミを島内で出さないことを考えて、出発の準備をすべきだったと少し反省させられる。

時間は正午になった。
この時間までに昼食を済ませたかどうかが運命の分かれ目となった。
おそらく浦賀水道を通過して、外洋に船は出たのだろう。
外洋に出れば船が速度をあげ、波が高くなる。
船は急に揺れ始めた。

予想した通り、今まで体験したことのない揺れだ。
床に寝転がっていても、時々踏ん張らないとそのまま転がって行きそうになる。
そして、時々お尻が浮くほど激しく船体が飛び上がる。

もう本を読んだり、日記をつけるようなことはできない。
乗客はひとり、ひとり、床につき、この揺れに耐えはじめる。
ついに楽園に向かうための地獄の試練が始まったのだ。



・・・小笠原到着まで まだ23時間30分!

2008年1月16日 (水)

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人気の鉄道旅3(下灘駅と夕日の路線)【愛媛・鉄道・ファミリー】

時刻表に刻まれたその時間は訪れ、太陽は西の空に傾き始めた。
この電車旅のクライマックス。
夕陽の海を走る人気路線への乗車の時間だ。
大洲駅
西日を受けながら大洲駅で待つ汽車。
1両編成のワンマン汽車に、思い思い人が乗り込んでいく。
地元のおばあちゃん、子供づれ。
ビールを飲んで気持ちよく寝ているおじさん。
今回の巡礼は終わったのか、白装束を着て大きな荷物を背負ったお遍路さん。
そして、僕と同じく、鉄道旅を楽しんでいると思われる旅人たち。

電車は出発して間もなく、往路で乗った新線である内子線の線路と別れて旧線へと進み、一路伊予長浜駅を目指す。
伊予白滝駅
伊予白滝駅で、通過列車待ちだ。
どんどん夕日の差し込む角度が水平に近づき、色づいてくる。
そんな太陽に、電車の向こうの山肌が照らされている。
この山には、先週訪れた紅葉の名所「白滝」がある。
1週間過ぎたとはいえ、この時間には滝の周辺の紅葉は恐ろしいほど色づいているに違いない。
そんな事を思いながら、ノスタルジアにあふれたホームでの時間を楽しむ。
肱川沿いを走る路線
予讃線の旧線は、大洲~伊予長浜間は「肱川」沿いを走る。
「肱川」は愛媛県下で最大の一級河川。
大洲市を出ると、河口の伊予長浜までは大きな町はなく、里山の風景を流れていく。
河口が近づくにつれ、旅情あふれる表情を見せてくれる。
車に並走して海岸を走る
伊予長浜駅を過ぎると風景は一変。
先程まで進行方向左側にあった川は海へと変わる。
肱川が瀬戸内海に流れ出すと、汽車は今度は瀬戸内海沿いに走っていく。
汽車と並走するのは国道378号線。
「ゆうやけこやけライン」の名を持つ、絶好の夕日ドライブのルートで、僕もこの道をよく車を走らせる。
今日は汽車なので、思いっきり美しい海辺の風景を楽しめそうだ。
夕日射し込む社内
夕日差し込む車内の様子。
夕日に乗せられて美しい海の風景が車窓から飛び込んでくる。
この汽車に初めて乗る旅人、毎日乗っている地元の人。
誰もがこの夕日に照らされた、美しい海に目を奪われている。
この美しい光景に勝てるのは、線路が刻む心地よい音に導かれる睡魔くらいだろうか。
運転席から見た風景
汽車は進む。
前方には海と、その海沿いの「ゆうやけこやけライン」を走る車の列。
次々と運転席の窓に現れる美しい風景に、乗客の目は虜にされてしまう。
前から迫ってくる風景は汽車の目前で左右に分かれ、スピードを一気に増して後ろへと流れていく。
未来が過去へと変わっていく場所、それがこの汽車の車内なのだ。
港町の風景
車窓に映る風景は、時々港町の中を走り抜けていく。
どこか懐かしいその風景は、忘れていたものを思い出させる。
旅情あふれる、心温まる風景だ。
夕陽の下灘駅
「下灘駅」に到着した。
ここは「海に一番近い駅」として有名なところ。
鉄道ファンには根強い人気があり、ドラマや映画、ポスターのロケ地としても非常に有名だ。
特に、この駅から眺める海に沈む夕日は最高にきれいだ。
電車から見る下灘駅よりも、ホームから見る下灘駅の風景の方がとても美しい。
→下灘駅からの夕日はこちら
僕たちと同じと思われる、鉄道旅の人は、ここで汽車を降りた。
おそらく、ここで沈む夕日を眺めて、日没の後、次の汽車に乗るのだろう。
これが通の鉄道ファンのスケジュールなのだろうが、僕は何度かここで夕日を拝んでいるので、このまま汽車で通過した。
夕陽の線路
下灘駅は夕日の駅だった。
駅を出発したあと、夕陽も海の向こうへと旅立つように、一気に水平線との距離を縮め始めた。
水平に近いオレンジ色の光を受け止められるのは、海とレールだけ。
あとは漆黒のシルエットに変わり、この旅の主役を際立たせる。
夕陽の線路2
風景の中に溶け込んだ夕日は、車窓の風景をすべてオレンジ色に包みこんだ。
夕日色した瀬戸内海を走る路線は、現実味を失っていく。
まるで、映画かドラマの中に迷い込んだみたいだ。
乗客の中に、有名な俳優が演じる主人公が紛れ込んでいても不思議ではない。
夕陽の線路3
ゆっくりと夕日と輝く海に囲まれた線路の上を汽車は走っていく。
そのスピードはとても速いようでもあり、とてもゆっくりでもある。
目的地も決まっているようで、さまよっているようにも感じられる。
ただ、この時間がもう少し、長く続けばいいと、願わざるを得ない、切ない気持にもさせてくれる。
夕陽の線路4
途中、夕陽色に染められた列車とすれ違う。
シルバーの車体は眩しいオレンジ色になり、夕日に向かって旅立っていった。
残念ながらこの汽車に夕日旅の切符は渡された。この駅を過ぎると、夕陽の旅は終わりを迎えた。

海と別れて間もなく、汽車は向井原駅に到着。
ここで、新線と合流し、予讃線1周が完結した。
あとは松山駅に戻るだけだが、もう少し鉄道旅を楽しみたいので、次の「伊予市」駅で下車。

JR伊予市駅の真正面には、伊予鉄道「郡中港」駅がある。
先にも述べたが、この伊予鉄道は全国でも4番目に古い歴史を持つ私鉄で、今も当時の面影を色濃く残しいてる。
愛媛で鉄道旅を楽しむには、外せない路線だ。

僕はこの伊予鉄道は通勤に使っているが、この郡中港~松山市駅はまだ全部乗ったことがない。
せっかくなのでこの「郡中線」を全部制覇しようと思い、オレンジ色の歴史感じる車体に乗り込んだ。

伊予鉄道の歴史を感じる人気路線は松山市駅~高浜行きの「高浜線」
伊予鉄道のメイン路線でもあり、一番古い歴史を持つ路線だ。
海と古い駅舎の組み合わせが、なんとも旅情を誘う。

郡中線は比較的新しくて町の中の走行が多いので、ほかの路線に比べ旅情を感じることは少ない。
それでも途中、停車する駅舎には歴史感じるものが多い。

郡中線の乗車はあっという間だった。
電車は松山市の中心、松山市駅に到着した。
長く、短い日帰り鉄道旅は、こうして街の賑わいの中で終わりを迎えた。
地図

2008年1月14日 (月)

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日本水仙花開道 【愛媛・四輪・ファミリー】

何度もこのブログで紹介して、もう耳にタコができている方もおられるかも知れない。
伊予市双海町の「ゆうやけこやけライン」(国道378号線)
海とともにあるこの町を彩る花としては、線路沿いに一面に咲く菜の花がとても有名である。
しかし、その菜の花の開花前に、もうひと花添えてくれる花がある。
それは「水仙」

日本で一番海に近い駅である「下灘駅」の近く、海を見下ろす丘の上に、一面の水仙畑が楽しめる。
時期は1月上旬~下旬。
今年もさっそく出かけてみた。

ここはあまり観光地としては有名ではない。
それでも口コミやネットで、年々訪れる人は増えている。
水仙畑が咲いている時期は、下灘運動公園の駐車場が臨時に開放されている。

駐車場からは、国道378号線を横断歩道で渡り、東方向へ。
郵便局を通り過ぎ、ガソリンスタンドのある信号つきの交差点を左折する。
そして、電車の鉄橋をくぐらず、その手前の交差点を右折。
細く時代を感じる道を少し歩くと、そこに入口がある。
日本水仙花開道への入り口
ここが「花開道」の入口。
段ボールでこしらえた看板がフェンスにつけられている。
看板がなければ、絶対にわからない。

細く急な道を登ると、線路を渡る。
ここは踏切がないので、電車の往来には十分注意すること。
幸いに、見通しはよく、列車の速度も速くはない地点だ。
見下ろす下灘港
線路を渡り、人ひとりが通れるくらいしかない幅の道をどんどん登っていく。
登るにつれ、眼下に風光明媚な港町の風景が広がっていく。
瀬戸内海の青と水仙の白
町と海が足元に一望できるようになった頃、周辺に水仙が咲く畑が広がり始める。
瀬戸内海の青さとと水仙の白さ。
そして、潮風に運ばれる水仙の香り。
この地に立つだけで、五感すべてで癒しを感じることができる。
瀬戸内海を背に広がる水仙畑
畑の一番上からは、風光明媚な瀬戸内海と一面の水仙の風景を眺められる絶好のポイント。
多くの人がここからカメラを構える。

双海町は夕日が有名な町。
夕日に照らされた水仙を見ようと思う人がいるかも知れないが、残念ながらそれは無理。
夕方になると、畑の背の山に太陽が遮られ、光は注がなくなる。
遅くとも15時には水仙畑に入らないと、満足な風景を見ることができないので、注意が必要。

また、水仙畑の小屋では、ここの水仙を販売している。
1本20円、1束100円くらいの値段。
しかし、1日の販売本数は限られているので、遅くに来ると売り切れになっているのでこれにも注意。
満開はまだ先・・・
訪れたのは2008年1月13日。
例年より1週間早く訪れたのだが、どうやら満開の時期にはまだ早かった。
水仙の花はまだまばらにしか開花していない。
満開の時期ならば、海を背に丘一面に咲く水仙が見れるのだが、少し残念だった。
見頃はこれから。
今年も1月下旬頃までは十分に楽しめそうです。

日本水仙花開道
■My評価(5段階)
★★★★(4.0)


【2007年度の詳しい紹介はこちら】
【KUMA.のホームページ・2007年度の水仙畑】
【KUMA.のホームページ・2006年度の水仙畑】
日本水仙花開道の地図

2008年1月13日 (日)

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小笠原旅行記1・旅立ち 【東京都・島旅・ファミリー】

天にそびえるような高層ビルが何本も突き刺さった空は抜けるような青さ。
まぶしい生まれたての太陽に照らされたそのビルが立ち並ぶビジネス街は、平日の朝の喧騒が信じられないくらいとても静かだ。
その中を僕たちは大きな荷物を持って歩いていた。
ビジネス街をまるで海外へバックパッキングに行くようないでたちで開く姿は我ながら異常に思えた。
しかしひとり、またひとりと、目指す先に進むにつれ、同じような格好の人々が集まっていき、やがてそれは行列へとなっていった。
僕の姿は異常ではなく、この界隈の日常風景だったのだ。
行列が吸い込まれていったのは、竹芝客船ターミナル
ここは小笠原への出発場所だ。

【小笠原へ行くには・・・】
今回の旅の目的地は東京都小笠原村
東京から1000km以上離れた、太平洋の絶海に浮かぶ島々だ。
いくつもの島々からなる小笠原諸島だが、人が住んでいるのは「父島」「母島」のみ。
小笠原の玄関口は父島の二見港。
ここはその二見港と本土を結ぶ定期航路の発着場である。

小笠原は青い海でイルカやクジラと出会え、希少な動植物があふれ、「東洋のガラパコス」と呼ばれる場所。
日本の中でもずば抜けて美しい自然が残る場所だ。
小笠原の美しい自然の理由のひとつは、小笠原が「日本で最も遠い場所」であるからだろう。

小笠原に行く方法は基本的には「おがさわら丸」という定期航路を使う。
「共勝丸」という貨物船や豪華客船「きそ」も不定期で小笠原に向かうが、これらを利用する人間は稀有だ。
小笠原には飛行機は飛んでおらず、船で何と25時間半もかかる。
しかも、その「おがさわら丸」は月に5~6往復しか便がないときている。
日本の中で、東京からその日のうちにたどりつく事ができない、多くの人が普通に生活する場所がほかにあるだろうか。
しかも、それが同じ東京都内でだ。
海外の国でも25時間半あれば、東京から飛行機で多くの場所にだどりつける。
海外よりも遠い日本。それが小笠原なのだ。

かねてより、僕たち夫婦の「いつかは訪れたい場所」だった小笠原。
しかしその遠さと不定期なおがさわら丸のスケジュールのため、なかなか旅立つことができなかった。
しかし、今回の正月休みとおがさわら丸のスケジュールが運よく重なった。
東京からも丸1日以上かかる場所。その東京までも僕が住む四国からは長旅になる。
そんな長旅の末にたどりつける楽園を夢見て、今出発の場所に立った。
おがさわら丸乗船手続きの列
【おがさわら丸への乗船】
おがさわら丸の出港は10時だが、8時には多くの人が受付に列を作っていた。
その理由は、受け付け順に船内に入れるからだ。
二等船室は、C・D・Eデッキの3つの階層に部屋がある。(最上階AデッキとBデッキには特2等以上の指定席室がある)
早く並ぶ人は、この中で一番上層階にあたるCデッキの部屋に入りたいからだと聞いたことがある。
窓があるのはCデッキの船室のみ。比較的広く、荷物を置くスペースも比較的多い。
さらに船内入口と同じ階にあるので、荷物の上げ下げの苦労もない。
何より船外デッキに出るために登る階段が少なく、多くの人が船外へと出るので比較的人口密度が緩和されるのだ。

そのような情報をネットで仕入れていたので、僕も同じように朝早くから並び、100番以内の整理券をゲットした。
Cデッキの定員は200余人なので、200番までの整理券をゲットできればよさそうだ。
ただし、二等船室の中の寝具にも番号がふられていて、どの場所になるかは船に乗船した時の並び順になる。
整理券通りの番号順の乗船ではなく、たとえば、1~100番までの人の列として乗船する。

僕は基本的にフェリー旅で1泊するときには、2等寝台を利用することにしている。
しかし、おがさわら丸の2等寝台の数は少なく、追加料金(おがまるパックを利用の場合)は片道だけでもひとり11,280円である。
夫婦ふたりで往復と考えただけでもとてつもない出費になるので、それは諦めた。

手続きのための順番を待っているといろいろとアナウンスがかかる。
「小笠原の宿はすべて満室になっているので、宿の予約がない方は乗船できません」
沖縄の離島と同じく、小笠原でもキャンプが全面禁止になっている。
そのため、この時点で宿を予約しているか、知人宅にお世話になるかしない限りは、島に立ち入ることが許されないのだ。

手続きを済ますと、1~100番の整理番号列に並ぶ。
ここで乗船まで、みんな時間を過ごすのだ。
その間、同じ目的地に向かう旅人たちを観察する。
不思議とみんな大荷物を持っている。
ダイビングの機材、バックパッキングにフィンを縛りつけて、釣りざお片手に、登山の格好・・・
スカートを着てきれいに着飾った人など皆無に等しい。
みんなアウトドア系やラフな格好に、それぞれの遊び道具をいっぱい詰めた荷物を持っているのだ。
アウトドア系の遊びや旅好きの人が集まった、それこそまるで見本市。
もう、この時点で、本土に根付いている日常生活から切り離されていると言ってもよい。
竹芝桟橋停泊中のおがさわら丸
これが「おがさわら丸」
地元民や旅人の間での通称は「おが丸」だ。
今まで多くのフェリーで旅したが、どのフェリーも車やトラックを搭載できる大型船だった。
この「おが丸」は自動車は荷物として数台は「運搬」できるが、「搭載」はできない小さな船。
こんな小さな船で、荒波立つ外洋を越えていくのかと思うと、なんだかこれから過ごす時間がとてつもなく長く感じる。
おがさわら丸に乗船する
さて、時間になり乗船開始。
おが丸に旅人たちが大きな荷物とともに乗り込んでいく。
入口で係員から番号札が渡される。
これが運命の番号。
二等船室の寝具の指定番号で、これから先25時間以上の自分の居所を指定されるものなのだ。
ありがたいことに、棚と出入り口の近くだったので、比較的快適な船内生活を楽しめそうだ。
おがさわら丸Cデッキ二等船室
ここがCデッキ二等客室。
この日は天気は良いが、風はきつく海は大荒れになる予想。
すでに大島などに向かう小型客船は天候不良のために欠航が発生している。
そのため、海面にほど近い窓には鉄製のガードが既に下ろされていて、かなり閉塞感を感じる。
しかも、正月で乗客が多く、人口密度も高そうだ。
それに、ところどころに置かれた金だらいが、これからの航海の過酷さを物語っている。
しかし航海が始まれば後悔しても遅い。
船が動き出したら、どんなに気持ち悪くても小笠原に着くまでは、この船と運命を共にしなくてはならない。
その覚悟を決めるように、僕は生まれて初めて「酔い止め薬」をぐいっと飲みこんだ。

船は僕の覚悟を知ってか知らないでか、出港準備が整うと定刻通り、竹芝桟橋からゆっくりと離れ始めた。
小笠原への長い長い航海の始まりである。

・・・小笠原到着まで、あと25時間30分

◆目次ページへ

2008年1月 7日 (月)

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小笠原旅行記 【東京・島旅・ファミリー】


外国よりも遠い日本・・・
それが小笠原。
東京都でありながら、東京から船で25時間30分もかかる場所。
交通手段は船しかなく、航空の便はない。
しかも、その船が出るのは、月にたったの5~6便。
まさに日本の中で一番遠い場所・・・

今までずっと行きたかった場所。
だが、そのアクセスの悪さになかなか満足できる日程が取れず諦めていた矢先だった。
今回の正月に僕の休みと、船の航行予定がぴったりと重なったのだ。
導かれるように、僕は小笠原に旅立った。

本土は猛烈な寒波に襲われる中、小笠原は初夏を思わせる日射し。
日本で一番遠い場所は、常夏の南国だ。
鮮やかな緑と、美しいエメラルドグリーンの世界。
青い海に現れた鯨と、波に乗って遊ぶイルカたち・・・
そして、出会いと再開。
久しぶりの「旅」
それは新しい年の素晴らしい幕開けとなった。

■記事リンク■ (記事作成のつど、この下に目次リンクが作成されていきます)

◆1 旅立ち
◆2 試練のはじまり 
◆3 太平洋での越年と初日の出
◆4 父島到着 
◆5 海に還る 
◆6 大村海岸 
◆7 小笠原ビジターセンター 
◆8 聖ジョージ教会
◆9 ホライズンドリーム 
◆10 小笠原の買い物事情 
◆11 おがさわら丸・ホテルシップ 
◆12 サンライズ奥村 
◆13 奥村地区を歩く
◆14 大神山神社
◆15 宮乃浜 
◆16 父島要塞大村第二砲台跡 
◆17 三日月山展望台(ウェザーステーション)  
◆18 おがさわら丸見送り 
◆19 旭平展望台 
◆20 初寝浦展望台 
◆21 コペペ海岸と戦跡群 
◆22 小笠原の土産に・・・ 
◆23 ジャングルナイトツアー 
◆24 八ツ瀬川でシーカヤック 
◆25 小港海岸 
◆26 中山峠プチトレッキング 
◆27 PAPAYAツアーに参加 
◆28 憧れの南島  
◆29 クジラと遭遇!! 
◆30 母島へのクルージング  
◆31 ドルフィンスイム  
◆32 母島東港のシュノーケリング  
◆33 母島一周クルージング(東海岸) 
◆34 母島上陸 
◆35 母島出発とイルカとの再会 
◆36 だるま夕日とグリーンフラッシュ 
◆37 境浦へのサイクリング

2008年1月 3日 (木)

記事タイトル

小笠原の碧い海

小笠原の碧い海
今日はシーカヤックです! が…波が高すぎて、シロウトは海に出れません。 仕方なく、南国の川をカヤックです。 昼休みには参加者はみんな初泳ぎ。 海水は暖かくて泳げます。 ただ、海から出ると寒くてたまりません。 ひねくれた僕だけ軽く山登りに。 高台から見下ろす小笠原の海の青さは夢のような美しさでした。

2008年1月 2日 (水)

記事タイトル

新年初泳ぎ!

新年初泳ぎ!
…のつもりだったんですが、風強く、波も荒くて断念です。 シュノーケルスポットの宮乃浜です。 ただ、大神山神社でのお祈りが通じたのか、天気は良くなって来ました。 初泳ぎは明日に持ち越しです。 波が高くて喜んでいるサーファーのみなさんがうらやましい…

記事タイトル

絶海の初詣

絶海の初詣
今年の初詣は南の島で。 小笠原・父島の大神山神社。 お願いしたのは帰りの航海の安全と… 晴れますように! 天気はあまり良くありません。

2008年1月 1日 (火)

記事タイトル

海に帰る・・・

海に帰る・・・
ただいま、小さなウミガメのこどもたちが大海原に旅立ちました。 長い旅の始まり。 再びこの小笠原の土を踏んで欲しいなぁ。頑張れ!

記事タイトル

着きました!

着きました!
日差しが厳しく暑いです。 まるで初夏を思わせる陽気。 小笠原諸島、父島に到着です。

記事タイトル

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
2008年、絶海の初日の出です。 皆様、本年もよろしくお願いいたします。 やっと電波の届くところに来ました。 って、ここどこ?