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2008年8月17日 (日)

記事タイトル

安曇野ちひろ美術館 【長野・四輪・ファミリー】

安曇野の観光でどうしても妻が寄りたいとリクエストした場所。
「安曇野ちひろ美術館」
画家のいわさきちひろさんの作品を集めた美術館である。
「いわさきちひろさんって誰?」僕の質問に妻はこう答えた。
「誰か知らなくても、絶対に作品は見たことがあるよ」
安曇野ちひろ美術館
美術館の中は、とてもきれい。
まず訪れる展示室には、いわさきちひろさんの作品が所せましと並べられている。
その作品を拝見すると、確かに見たことがある。
妻の言うとおり、よく見たことがある。柔らかいタッチの優しい子供の絵。
こんなにたくさん集められているのは初めてで、ゆっくりと鑑賞した。

次の展示室に入ってびっくりしたのは、いわさきちひろさんは30年以上前に亡くなっていたこと。
現在も活躍する画家と思っていたくらい、その作品には時代を感じられない。
彼女がどのような人生を歩み、どのようにして作品を作ってきたのか。
そして、この長野でどのように自然に親しんできたのかが展示されている。

他にも世界の絵本画家の作品が集められた展示室。
様々な絵本が読める図書室がある。
僕が子供の頃に見た絵本が何冊か見つかった。
読んでいると、とても懐かしく、忘れていた記憶がいっぱい蘇ってくる。
そして、その本の1冊が、いわさきちひろさんが挿絵を担当した絵本だった。

ショップやカフェなども併設されていてとても、ゆっくりと楽しめる場所だ。
安曇野ちひろ美術館・中庭
自然豊かな安曇野に建てられた美術館。
とても緑に囲まれていて気持ちがいい。
中庭に出ると、オブジェがいくつも飾られていて、畑でラベンダーが花をいっぱい咲かせていた。
遠くには雪を頂いた北アルプス。
まるで、北海道の富良野に来たような、とっても気持ちのいい庭だった。
安曇野ちひろ美術館・公園
美術館の周りには、「安曇野ちひろ公園」が整備されている。
公園は無料で利用でき、一面の芝生と水に親しめる広場が気持ちいい。
北アルプスを背に、美しい花にあふれた花壇といくつものオブジェに囲まれた公園でも美術館の鑑賞後に少しゆっくりしたい。

この日は天気が悪く、宿のチェックイン時間が迫っていたのでゆっくりできなかったのが残念だった。
また機会があれば、もう一度今度はゆっくりと訪れたい場所となった。

【安曇野ちひろ美術館】
My評価(5段階)
★★★★(4.0)

2008年7月12日 (土)

記事タイトル

水木しげるロード ゲゲゲの鬼太郎の妖怪たち 【鳥取・四輪・ファミリー】

今は映画などでも人気の「ゲゲゲの鬼太郎」
僕も子供の頃はアニメをよく見ていた。
国民的キャラクターとなったその妖怪たちがブロンズ像となって133体も立ち並ぶ場所がある。
それが「水木しげるロード」
これは、ゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげる氏の出身地の鳥取県境港市にできたスポット。
境港駅前から本町アーケードの約800mの間に多数のブロンズ像や鬼太郎にちなんだグッズを扱うお店などが並ぶ。
水木しげるロード・水木しげる像
JRで来れば駅前からスタート。車で来てもJRの駅の近くに駐車場があるので、ここからスタートしたい。
駅前には、原作者の水木しげる氏のブロンズ像がある。
鬼太郎とねずみ男が見守る中、一生懸命原稿を書いている姿がなんとなくユニークだ。
それでも戦争で失われた左腕は、痛々しく感じる。

ちなみにこの駅があるJR境線には「鬼太郎列車」というゲゲケの鬼太郎の人気キャラが描かれた列車が走っている。
米子駅から終点の境港駅のすべての駅にはキャラクターの名前がつけられている。
米子駅は「ねずみ男駅」
「コロボックル駅」、「ざしきわらし駅」・・・と続き、終点の境港駅が「鬼太郎駅」である。

水木しげるロード・鬼太郎ポスト
JR境港駅の周辺にもブロンズ像が多数ある。
ポストの上には鬼太郎が。やはり鬼太郎のブロンズ像の数が多かった。
通りには妖怪ポストがあり、そこで投函すると特別の消印がつくらしい。
ただし、このポストは普通の消印になるそうなので、注意!!
水木しげるロード・ネコ娘
通りを歩いていると、知っている妖怪、知らない妖怪のブロンズ像が次々と現れる。
ネコ娘発見。豪快に魚を食べている。
原作のネコ娘は映画や最近のアニメのようなネコ娘の可愛い面影は一切ない(笑)

写真は妖怪らしさを出すため、ちょっと白黒で。
先日立ち寄った「植田正治写真美術館」の影響もかなり入っているが・・・
水木しげるロード・目玉親父地蔵尊
目玉おやじが地蔵になっている。
ありがたや・・・って、妖怪なのに地蔵?
水木しげるロード・目玉おやじ
鬼太郎以上にその数が多いのは目玉のおやじ。
おやじなのに、とっても愛嬌がある。
ちなみに、水木しげるロードの街灯は、目玉のおやじのデザインになっている。
水木しげるロード・鬼太郎パン
通りには鬼太郎のオリジナルグッズや、それにまつわるものを販売する店が多い。
これは鬼太郎のキャラクターを模したパン屋(神戸へーカリー・水木ロード店)
とってもいい味を出している。買わなかったので、実際の味は楽しめなかったが・・・

訪れた時は雨だというのに、子供を連れた家族などで通りは大にぎわいだった。
鬼太郎グッズ関連以外の普通のお店やアーティスティックなお店も多く、商店街は活気にあふれている。
「水木しげるロード」の整備は地域活性としても成功しているといえそうだ。
水木しげるロード・ねずみ男
ふてぶてしくくつろぐねずみ男。
大勢の人が横を通っても知らん顔。
悪さばっかりするのに、なぜか憎めない・・・
子泣き爺
子泣き爺は何を見つめているのか・・・
水木しげるロードの一番東には「水木しげる記念館」があり、水木しげると鬼太郎の世界感をより楽しめる。
水木しげるロード・妖怪神社
ロードの中ほどには妖怪神社がある。
ご神体は黄泉の国から流れ着いた岩の塊だとか・・・
入口の鳥居の横には、目玉おやじのオブジェがあり、子供たちに人気だった。
水木しげるロード・ろくろ首 水木しげるロード・ガイコツ
愛嬌があり、親しみのある妖怪も多いが、中にはこんな恐ろしい姿をした妖怪も・・・
妖怪たちとの出会い、そして面白いお店やスポットが並ぶ、とても楽しい散策ができる場所だった。

【水木しげるロード】
■My評価(5段階)
★★★★(4.0)

2008年7月 8日 (火)

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奥伊予の奇祭・どろんこ祭り 【愛媛・四輪・ファミリー】

愛媛にはいろいろな歴史ある華やかな祭りがある。
「新居浜太鼓祭り」や「西条まつり」、宇和島の「牛鬼まつり」などが有名だ。
どれも一度は行ってみたいと思っていても、まだどれも行っていない。
今年は祭りにどれかに行ってみたい。
そう思っていた矢先に、何故だか四国では梅雨が明けた。
例年より2週間近く早い梅雨明けだが、梅雨の濃度は濃く、雨が降らなかった日はないくらい。
その濃厚な梅雨と高騰するガソリン代のおかけでこの1か月どこにも出かけていなかった。
よっしゃ、ならばこの久々の晴れ間に祭に行こう。
そう思って出かけたのが、これも行きたいと思って全然行っていなかった「どろんこ祭り」だ。

「どろんこ祭り」とは、正式名称は土井三嶋神社の「御田植祭り(おんだまつり)」といい、愛媛県の無形文化財指定に指定されている。
毎年、7月の第1日曜日に行われる。
「奥伊予の奇祭」と称されるこの祭りはとてもユニークで、写真コンクールを祭りと一緒に開き、撮影を推奨していることもあり、多くのカメラマンが県内外から訪れる。
普段は静かな山村が、すごい人手と熱気に包まれる1日となる。
どろんこ祭り・牛による代かき
まずは最初の見せ場の「牛による代かき」
牛が水に入った。祭りの始まり。
それと同時に、真夏の肌を焦がす太陽が雲の中から現れ、そして、蝉が鳴き始めた。
夏がまさに、祭に呼び出されたかの様に、今始まった。
どろんこ祭り・牛による代かき
7頭の牛がいたが、横一列に並べるまで、かなり時間がかかった。
興奮して1匹で代かきを始めてしまう牛。
モォ~、イヤだぁ~と、田んぼから逃走しようとする牛。
それでも牛をきれいに横一列に並べたら、代かきスタート!
牛7頭が一斉に田んぼを進む様子は大迫力だ。

話は変わるが、農耕牛など、平成の世には存在しない。
幸い、四国カルストの麓にあたるここ城川は酪農が盛んな場所。
今日、代かきをしている牛たちは近くにの牧場の肉牛で、1か月間、この日のために調教したという。

牛舎の中にしかいない牛は、外に出ることも大変。
まともに歩く事もできない牛が、こんな泥田の中で人の指示に従い鋤を引くのは相当大変だという。
1.5kmf離れたこの田まで来るのにも相当鍛練が必要だったそうだ。
この祭りに参加した牛はその苛酷な作業とストレスで50kg以上も体重を落とすことがしばしば。
体重を元に戻すには、何か月もかかることもあり、飼い主には祭りのためとはいえ、相当な損害になるそうだ。
そこまでしてでも守りたい地元の伝統行事。とても力が入っている。
どろんこ祭り・牛による代かき
何周か牛が代かきをしたら、三嶋神社の神主さんに祈りをささげられ、ラストスパートに。
必死の形相で牛たちは田の中を進む。

この牛を操る人間にも、熟練の技が必要。
牛の代かきの方法には48通りあるとされ、すべて知らないと牛を操れないとか・・・
1人1頭の牛を縄とムチで操り、左右両端の牛を担当する人が最も熟練者で牛の群れを統率する。
もちろん、職業として牛を操ることはないので、その技の伝承は難しく、牛使いの年々高齢化が進んでいる。
しかし、近年には若手が加わり、去年は木5頭だった牛だが、今年は7頭の牛が参加できたそうだ。
祭りを引き継ぐ新しい世代の決意。そして、見事に牛を操る熟練のベテランの技。
すべてが牛の迫力と見事なコンビネーションとして実現され、とても素晴らしかった。

代かきが終わると、遠く離れていても聞こえる響く牛たちの息づかい。
ゆっくりと神田を後にしていく牛たちとそのパートナーにはには惜しみない拍手が贈られた。

どろんこ祭り・畔豆植え
続いて行われたのが「畔豆植え」
昔によくおこなわれていた、田んぼの畦に大豆を植える作業を再現したもの。
どろんこ祭り・畔豆植え
真面目に作業をする若者だが、ここでハプニング。
田に突き刺さった鍬を思いっきりひっこ抜いたら、勢いあまってドボン!
ひとりの若者が巻き添えをくらってしまう。
一発触発。しばしにらみ合いとなるが、大勢の人の目があるので、すぐに作業に戻る。
どろんこ祭り・畔豆植え
が、やっぱり我慢ならないようで。
人目をはばからず、取っ組み合いの喧嘩。
すぐに作業中の人や、村人が仲裁に入るが・・・
どろんこ祭り・畔豆植え
仲裁に入った人を巻き込んて、大ゲンカが始まる。
ドボン!バシャン!と田んぼの中に手当たり次第放り投げていく。
突然始まった喧嘩だが、観客は大笑いで、一生懸命カメラでその様子を撮っている。
実はこの喧嘩は演出。
畔豆植えの実演なんてほとんど関係なく、このドタバタ活劇が見どころだ。
どろんこ祭り・畔豆植え
参加者の紹介のアナウンスを聞いていると、演じているのは柔道の有段者や、血気盛んな高校生。
英語の指導補助員のアメリカ人や、前任の指導補助員のアメリカ人もわざわざやってきて参加。
諸事情で、突然数日前に出場が決まった参加者もおり、村の暖かいコミュニティと豊かな国際色が泥田の中で混じり合う。
どろんこ祭り・畔豆植え
どんどん戦いはハードになっていき、バトルロワイヤルのレスリング大会と化していく。
武闘派の若者(中には40代の教師も)が大技を繰り出すたびに、観客席からは歓声があがる。
どろんこ祭り・畔豆植え
1本背負いやドロップキック、ついにはブレーンバスターなどの大技も炸裂。
しかし、武術経験者が多いので、見事に受け身はとれている。
泥の中での勝負は相当にきついようで、最後の方にはみんなヘロヘロ。
最後はみんなで手を取り合って和解。めでたしめでたし・・・

どろんこ祭り・さんばい降ろし
さて、次に始まったのは「さんばい降ろし」という神楽。
無病息災、五穀豊穣を祈る神事。
3人の大夫が鉦・太鼓を演奏していると、なんだか悪そうな輩がやってきた。
この天狗のような人が「大番」という祭りの主役。
何とか神楽に参加できるよう、大夫たちにちょっかいをかける。
どろんこ祭り・さんばい降ろし
仕方なく神楽に参加させた大夫たち。
貢物を供える舞にも大番は参加し、神に感謝と祈りをささげる。
が、このあと大番が足を滑らせて田んぼにどぼーん・・・
どろんこ祭り・さんばい降ろし
田んぼに落ちた大番を放っておいて、再び3人の大夫たちで神楽が演奏される。
それを気に入らない大番。
なんと、大夫を田んぼの中に引きずり落とし、楽器を奪ってしまう。
どろんこ祭り・さんばい降ろし
奪った楽器で演奏に加わる大番。
が、時々横の大夫を見つめたかと思うと、いきなり田んぼに落としたりして悪さを繰り返す。
そのうち、勢いあまって、何度も自分で田んぼに落ちてしまう。
どろんこ祭り・さんばい降ろし
大夫たちは変わり変わり演奏に合わせて舞を舞う。
大番も舞わしてもらうが、何度何度も勢いあまって田に落ちてしまう。
ちょっとカチンときたのか、大番は一気に2人の大夫を正面から突き落としてしまう暴挙にでる。
どろんこ祭り・さんばい降ろし
最後は神に奉納した貢物を神棚からおろしていく儀式。
が、その途中、太鼓をたたきながらも大番は、事あるごとに大夫たちを見事に田んぼへ何度も落としてしまう。
どろんこ祭り・さんばい降ろし
無事に??儀式は終了。
そのとたん、今までは大番のなすがままにされていた大夫たちの反撃。
突然大番を捕まえて、お仕置きとばかりに3人がかりで田んぼの中に思いっきり放り込む!
どろんこ祭り・さんばい降ろし
でも、最後は勢いあまって、みんな田んぼの中にドボン!
お約束でオチました。

最後はこの神田のすぐ近くにある小学校の女の子たちが菅笠に浴衣を纏い、かわいい早乙女となって、手踊りを楽しませてくれました。
その後は男の子も参加してのお田植。祭りのフィナーレを飾ってくれました。
村人たちの熱い祭はこれで終わったが、暑い夏は今始まったばかりだ。
見事に真っ赤に日焼けで腫れあがってしまった腕の熱さと、素晴らしい祭りを見た心の熱さに、僕も夏の熱さの実感を祭りの後に楽しんでいた。

さて、ここで祭りについての案内です。
まず、駐車場ですが、三嶋神社に隣接する近くの小学校校庭と近くの野外活動施設の駐車場が有料で開放されていました(普通車500円)
相当な人出ですが、駐車場は約600台分あるようで、問題は特になさそうでした。

舞台となる「神田」は三嶋神社境内の奥にあり、周りにはトイレ数か所と露天も多く出ています。

観覧ですが、基本的に屋根はありません。
雨や日差しの対策は各自で行う必要があります。(この祭りは雨天決行)
また、会場への脚立は持ち込み禁止。
三脚や椅子を使えるエリアも制限されています(桟敷席の前は禁止・桟敷席は早い者勝ち)

また、アマチュア・プロカメラマンがとても多く訪れます。
通路で立って鑑賞しようとすると、後方でカメラ・三脚を構えたカメラマン達に「のいてくれっ」と怒鳴られることもしばしばです。
(カメラマンは早くに場所取りをしていて、「座って後方の視界を遮らないように鑑賞する」というのが、どうやら暗黙のルールとなっているようでした)
ちなみに最前列のアリーナは泥をかぶる可能性があり注意が必要です。
観客が高価なカメラを持っていることは祭りの参加者も重々承知していますが、飛んでくるものは飛んで来ます。

2008年7月 5日 (土)

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植田正治写真美術館で福山雅治写真展 【鳥取・四輪・ファミリー】

昨年になるが、大山に登った時に訪れた美術館がある。
それが「植田正治写真美術館」
僕は写真には興味はあったが、美しい風景を持ち帰るためにカメラを持つくらい。
美術と呼ばれるような域まで写真をするつもりはなかったし、フィールドは気ままに歩きたい方だった。
だから、写真は好きでも、このような写真美術館には行くつもりはなかった。

しかし珍しく、写真には何も興味もない妻が絶対に寄りたいとの強い要望で、訪れることになった。
いったいどういう風の吹きまわしかと思っていたが、理由はすぐにわかった。
この美術館で、歌手・俳優の「福山雅治」さんが出展する写真個展がちょうど開かれていたのだ。
どこで情報を仕入れたのか、長年のファンである妻はこの期間限定イベントを見過ごさなかった。
この美術館から見る大山はとてもきれいだと聞いていたので、僕もその大山を目当てに立ち寄ってみることにした。
しかし、この美術館の訪問が、僕の写真スタイルを大きく変えることになるとはこのときはまだ予想できなかった。
植田正治写真美術館・正面
「植田正治写真美術館」の正面。
コンクリート打ちっぱなしのモダンな設計だ。
大山の山麓の田園風景に突如として現れる近代建築は、とても目をひくモニュメントでもある。

さて、ここで「写真家・植田正治」さんがどのような人かを紹介。
鳥取県出身の世界的写真家で2000年没。
鳥取の地を離れず、鳥取砂丘や弓ヶ浜で多くの写真を撮影している。
山陰の空や砂丘を背景に被写体の人をオブジェのように配して撮る独特のスタイルで、世界的にも注目された写真家だ。

美術館なので、作品を撮影することはもちろん禁止。
じっくりと鑑賞させていただく。
広い砂漠のど真ん中に、タキシードを着た男性が突っ立ち、その手前に遠近感を利用した人が立っている。
美しい風景の中に、衣装・立ち位置・小道具などすべて計算尽くされたその写真は、演出された写真。
それだけに一瞬を切り取った写真ではなく、考えて用意して作り上げられたクリエイティヴな空間が切り取られている。
それはまさに、創造であり、写真美術というものだった。
写真には、こういう撮り方があるのか。
そこにある風景ばかりを切り取っていた僕にはとても斬新で衝撃的な内容だった。
植田正治写真美術館・内部
さて、ではなぜこの美術館で福山雅治さんが出展しているかについて。
福山雅治さんは写真を撮ることでも有名だが、その影響はこの植田正治氏との出会いが大きいとされている。
その出会いは、アルバムジャケットの撮影をスタッフの紹介で植田正治に依頼したこと。
はじめはアルバムジャケットに氏の写真が使えるのかと心配されたそうだが、その完成度の高い写真に以降のジャケットの多くを植田氏に依頼することになる。
また、その後は福山雅治さんは植田正治氏に師事することにもなり、親交を深めたといういきさつがあるそうだ。

福山雅治さんの写真は、世界中を旅した時のものがほとんど。
基本は縦写真で白黒。どの写真もとても自然体で気取ったものはない。
師匠の植田氏の写真は計算されつくられた写真だが、弟子の福山さんの写真はつくられた写真ではなく、そこにあるがままのものを切り取る写真。
しかし、師匠の「計算」はしっかりとたたきこまれているようで、普通に切り取る風景や人物はすべて計算しつくされているように、とても芸術的。
一瞬を計算して切り取る。そんな師匠の技を自分なりにアレンジした芸術を福山さんは確立しているように感じた。
同じ目の前にあるものを切り取るだけでこんなに違いがでるのか。
モデルを用意しないといけないような人手のかかる師匠の写真は僕たちがまねできない「非日常」の世界。
しかし、弟子の福山さんは師匠の技を自分たちと同じ「日常」というステージに持ち込み、その違いを見せつけてきた。
それは僕にとって、とても強烈で新鮮なものだった。
植田正治写真美術館・福岡堤
さて、この美術館を訪れる人の多くは一眼レフをもった方々。
老いも若きも、男も女も、日本人も外国人も・・・
写真に興味のあるかたも多いだろうし、妻のように福山雅治さんのファンとも思われる方も。
美術館の中はもちろん写真撮影禁止だが、許されている場所がある。
それが、この大山を美しく撮れる「福岡堤」という貯池。
コンクリートの壁に囲まれた池の向こうに見えるのは日本百名山の大山(1729m)
残念ながらこの日は天気が悪く風も強く、美しい風景にはならなかった。
天気が穏やかだとこの池に逆さ大山が映り、取り囲むガラスに周辺の田園風景が映り込みとても素晴らしい風景になる。

また館内にはカメラの内部を模した映像展示室ある。
世界最大のカメラレンズから写された大山の映像を楽しむことができる。
植田正治写真美術館・逆さ大山
多くの人がここで写真を撮る。一眼レフを構え、本格的に撮る人もとても多い。
ちょっと僕も影響を受けたのでモノクロで撮ってみた。
確かに、白黒写真だと、カラーと違いその表現は難しいが、アートっぽく感じる。
植田正治写真美術館
今回開催されていた展覧会は「PHOTO STAGE ~記憶の箱庭~」(2007.7.28-9.24)
2006年に六本木ヒルズで開かれた展覧会を植田正治写真美術館バージョンとして開催したものだった。

カメラの撮り方一つでこんなに写真が変わってくる。
とても写真が面白いと思った。
僕にとっても、ここは運命的な出会いだったのかもしれない。
決定的だった。ここで僕の決意が固まった。
もっと写真を楽しみたい。一眼レフを買おう・・・

この出会いかからもうすぐ1年。
一眼レフを手に入れてから半年。
まだ駄作ばかりだが、僕も人を感動させられる写真を撮れたらと思った原点は大切にしたい。

2008年6月28日 (土)

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道後平野サイクリング2(復路) 道後温泉・市内遍路 【愛媛・自転車・ソロ】

道後平野を横断するサイクリング。
この平野を流れる「重信川」の下流域の始まり付近にある「レスパシティ」でサイクリングは折り返し。
レスパシティの中にあるスーパーで遅めのお昼を調達して平らげたら、復路の出発だ。
同じ道を帰るのも何なので、途中から違うルートを走ることにする。
往路はいくつもの泉が湧く重信川のほとりの自然を楽しむコースだった。
帰りは、松山市内の四国霊場をお参りしながら道後温泉を目指す約19kmの「プチ遍路」コースだ。

往路に苦しめられた強烈な向かい風は復路では頼もしい追い風。
あんなに重かったペダルが信じられないほど軽い。
最速ギアで自転車道をまるで風のようになって走る。
往路では1時間ほどかかった道をたった15分で走り抜けた。
西林寺
重信川に架かる「久谷大橋」まで河川敷の道を戻れば、この橋を渡る県道40号線を北上する。
するとすぐに四国霊場48番の「西林寺」に到着する。

ここで、少しお遍路について。
お遍路とは、88か所のお寺をめぐって四国を一周する巡礼・修行の旅。
弘法大師の足跡をたどる旅で平安時代に始まったとされる。
今もその信仰は四国には深く根付いていて、巡礼をする人は県内外から多く訪れる。
お遍路さんの格好は、白装束に菅笠、そして弘法大師の化身とされる金剛杖を持つ。
車や公共機関、観光バスを使い巡礼する方がほとんどだが、歩きで何十日もかけて巡礼する人も多い。
四国の道を車で走っているとそんな「歩き遍路」という人を多く見ることができる。
四国には「お接待」という風習が残っていて、お遍路さんをもてなすことで、自らの願いをお遍路に託すというもの。
その為、歩き遍路には四国の人はとても優しく、食べ物を頂いたり、時には宿を提供してもらったりなどということもある。
僕も四国に転勤したときはこのお遍路を自転車でやってみたい、そう思っていたがまだまったく何も出来ていない。
今回はここで、少しだけお遍路をしてみる事にする。

さて、まずは西林寺の仁王門をくぐる。
この門は、罪人がくぐれば地獄に堕ちるという恐ろしい門。少しドキドキしながら境内へ入り、お参りする。
通常、お遍路をするときには本堂・大師堂で読経し、納経帳に朱印をもらうなど、参拝の方法が細かく決められている。
だが僕はお遍路の格好していなければ道具も何も持っていない。この日は普通に参拝する。
僕がお参りしている間にもお遍路さんが次々やってきて、般若心経を読経している。
浄土寺
西林寺から県道40号線を北上。
伊予鉄道横河原線の鷹ノ子駅を左折して、線路沿いに道を走る。
看板を目印に、少し住宅地に入ったところに49番「浄土寺」がある。
市街地の喧騒がうそのように、静かで趣のある山門には長い歴史と人々の思いを感じざるを得ない。
繁多寺
浄土寺からは「日尾八幡神社」のある交差点を右折して北上する。
同じ県道40号線だが、ここからは「松山東部環状線」という名称がある。
途中、案内板を目印に県道から外れて上り坂を登って行く。
小高い山の裾野に、50番「繁多寺」がある。
山に囲まれた、自然の香が漂う静かな山寺。
もう時間が遅いということもあり、訪れる人の数もとても少なかった。
ちなみにお遍路さんは参拝をした印に納経帳に朱印をもらうのだが、その受付時間は午後5時まで。
すべてのお寺の共通の時間で、この時間を回るとお遍路さんは参拝ができなくなる。
そのため夕方5時を回ったお寺は、とても静かになる。
石手寺入口
繁多寺から松山東部環状線をさらに北上し、石手川を渡ると、51番「石手寺」に到着。
道後温泉からほど近いこともあり、今までのお寺とは違い多くの観光客も訪れるお寺だ。
昔、この一帯を治める領主の男の子どもは生まれた時から左手を握ったまま開けなかった。
このお寺で祈祷をうけると、その手からこのお遍路の元祖とされる衛門三郎の生まれ変わりを示す小石が出てきたという。
その言い伝えがこのお寺の名前の由来で、安産祈願に訪れる人も後を絶たない。
お寺の入口には弘法大師の像があり、遍路用品のお店もある。
石手寺参道
山門へと参道を進む。
もう時間は遅く、訪れる人の姿はほとんどない。
静かな参道は、とても神秘的で厳かな空気が漂う。
この先には鎌倉時代に造られた歴史ある山門が待っている。
石手寺
黄昏空に三重塔がシルエットとなり、訪れる人がいなくなった広い境内は、不思議な雰囲気。
蝋燭の光に照らされた薄暗く静か境内に漂う線香の煙。昼間の喧騒が嘘のようで、仏が現れてもおかしくない。
石手寺の境内はとても広く、洞窟めぐりや、山の中を歩きまわってお参りする小さな霊場などがある。
今日はもう遅いが、今度はゆっくりと訪れてみたい。
道後温泉
石手寺の前の道を西へ向かって走ると、旅館が立ち並び始める。
ここが愛媛県最大の観光地、道後温泉
聖徳太子も入ったと言われる道後温泉は日本最古の温泉。
そのシンボルであるのが「道後温泉本館」
その前の道は、以前は車や観光バスで大渋滞だったが、近年は石畳の道になり、車が入ってこれない。
夜でも多くの観光客や、浴衣を着た近隣の旅館の宿泊客でとても賑わっている。
道後温泉本館
道後温泉本館は、夜のライトアップがとても美しく、幻想的。
宮崎アニメの「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルとなったと言われ、すぐそばにはジブリショップもある。
明治27年に建築された本館は木造3層構造。
中には又新殿 (ゆうしんでん)という、皇族専用の浴室もある。
現在は使われておらず、有料で内部を見ることができる。
赤く輝く屋上にある楼閣は振鷺閣 (しんろかく)
純和風建築の本館にあって異色の光を放っている。
赤いギヤマンをはめ込んだ障子越しに放たれる光は、とても不思議で、幻想の世界へと誘われる。
振鷺閣の中には太鼓があり、朝・昼と夕方の3回、打ち鳴らされる。
朝の太鼓とともに、地元の人が一番風呂を求めて道後温泉の本館に訪れる。
そんな湯の町の刻を告げる刻太鼓の音は「残したい日本の音風景100選」にも選ばれている。
夜の道後温泉
道後温泉本館の側面。
大衆浴場としてはとても大きく、重厚な造りは貴重で、国の重要文化財にも指定されている。
1階には浴室、2階には大広間、3階には個室がある。
本館の入浴には、入浴方法によって料金が異なる。
入浴のみ、大広間での休憩つき、個室での休憩つき、グレードが上の浴室の利用など。
休憩室を利用すると浴衣を貸してくれるので、この縁側からタオルを肩にかけて身を乗り出して風に当たるのが気持ちいい。

この道後温泉には、夏目漱石正岡子規が足しげく通っている。
夏目漱石の小説「坊ちゃん」は松山に教師として赴任した漱石自身の体験をもとに書かれたもの。
小説で主人公は、道後温泉をモデルにした「住田の温泉」に毎日通っており、夏目漱石がこの温泉をいかに気に入っていたかがわかる。
ただし、漱石が松山で気に入ったものはこの温泉のみのようだ。
松山の町や住んでいる人の事は、「品がなくどうしようもない田舎者」のように相当に悪く書いている。
そんな松山をバカにした「坊ちゃん」だが、今では堂々と松山のイメージキャラクターになっている。
「坊ちゃんスタジアム」や「坊ちゃん列車」、「坊ちゃん団子」など、松山のものならなんでも坊ちゃんと名を冠しているのが不思議だ。
ちなみに道後温泉本館の3階には「坊ちゃんの間」があり、夏目漱石の松山での足跡を紹介している。
道後温泉駅
道後温泉の歴史は古く、周辺には歴史やレトロ感じる場所がたくさんある。
そのひとつ、伊予鉄道の「道後温泉駅」
道後温泉観光の入口となる路面電車の駅だが、駅舎にも電車にもレトロの香りが漂う。
路面電車には最新型も走っているが、古い電車には木の床の内装など、とても歴史を感じる車両もある。
特に夜の時間は、不思議な雰囲気に包まれ、平成の世にいることを忘れさせてくれる。

ここからは路面電車の線路沿いにJR松山駅を目指す。
途中、山の上にそびえる「松山城」がある。
夜はライトアップされていて、闇夜に浮かぶ美しい姿は松山のもうひとつのシンボル。
松山城のお堀を過ぎてもう少し西へ向うと、日本でここにしかない平面交差する線路がある。
伊予鉄道の列車の通過を踏切で路面電車が待つという、面白い風景が見られる。
この踏切を超えると、ライトアップされた歴史を感じる駅舎が見えてくる。
JR松山駅に到着。今回のサイクリングはここで終了だ。
地図

2008年6月18日 (水)

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見残し海岸・奇岩の天然アート群 【高知・四輪・ファミリー】

四国に残るお遍路とは、弘法大師の足跡をたどる旅。
それゆえに、四国を旅していると、弘法大師にちなんだ伝説や言い伝えが多く残っている。
今回訪れたのもその一つだ。
「見残し」
日本で初めて海中公園に指定された「竜串海中公園」の一角にある。
あまりもの難所のため、弘法大師が見残したことからこの名前がついたそうだ。
しかし、ここは見逃していはいけないスポット。
確かにきれいな海だが、その海よりも独特の海岸の風景がこの地を日本初の海中公園に指定させたのではないか?
訪れた人なら必ずそう思う、不思議でちょっと「アート」な海岸の造形がこの場所にはある。
見残しへのグラスボート乗り場
見残しへは地図を見ると、歩道が通じているように見える。
しかし、どう考えても往復すると山越えで1時間以上はたっぷりかかる。
ここは出費を覚悟で船に乗るのが一般的。
時間や出費があり、気軽に見れないことから、現在も多くの観光客に「見残し」されている場所だといえる。

見残しへの船は2社が運航していて、どちらもグラスボート。料金も同じ。
違うのは、出発する場所だけ。
今回は、「足摺海底館」近くから出発する「たつくし海中観光」の船に乗ってみた。
たつくし海中観光のグラスボート
ちょっと昭和の感じがする船。
とはいえ、船長の操船はとても上手で、係員も船の乗り降りをしっかりサポートしてくれる。
時間になったらゆっくりと船は出港。
美しい海のサンゴ礁を楽しみながら、見残しまでは約20分の船旅だ。
竜串海岸
船が走っている間は、船底からは何も見えず、じっと見ていると船酔いする。
窓を開けて、外の風景を見ておきたい。
「たつくし海中観光」の船に乗ると、進行方向に向かって左側に「竜串海岸」を海上から望むことができる。
竜串海岸は、陸地から海岸へ、無数の竹のような細長い岩が突き出している。
それは陸地に伏した竜を海から何本もの竹で串刺しにしたように見えるので「竜串」という名になったとか・・・
この竜串海岸にも遊歩道があり、こちらは車を国道沿いの駐車場に止めて気軽に散策できる。
岩の間の青い海に遊ぶ熱帯魚も観察できる。
グラスボートに乗る時間やお金がなければ、「見残し」を見残して、この竜串海岸の散策でも奇岩あふれる海岸美を楽しめる。
竜串の海の中
グラスボートは何箇所かサンゴ礁を見せてくれるが、一番美しいのはやはり、見残しへの下船前最後のポイント。
見残しの下船場にほど近い場所に広がるのはシロサンゴの群れ。
海の色もとても美しく、多くの熱帯魚が遊ぶサンゴの世界はまるで竜宮城。
手軽に見える美しい青い南の海の中は、このグラスボートのハイライトだ。
見残し上陸
さて、見残しについたら下船。
もちろん下船せずにそのまま船着き場に帰ることはできるが、ここまできて「見残し」する事はない。
船はおおよそ30分に1本船着き場に到着するので、散策した後に次の船に乗って船着き場へと戻ることになる。
ここからは見残しの遊歩道を歩くことになる。
遊歩道は1周すると約60分。小高い展望台まで登ることになる。
そんなに時間がなかったので、見どころの海岸線を歩く40分の半周コースを行くことにした。
しかし遊歩道を歩き始めると、すぐにこの見残しの不思議な地形が目に飛び込んでくる。
荒々しい岩がむき出しの地形もすごいが、その岩の様子がなんだか変だ。明らかに違う。
見残しの奇岩
見残しの岩に刻まれた不思議な模様。
なんとも表現し難い、とても不思議な穴が岩にいっぱい出来ている。
生物の体の組織のような、いや、ハリウッド映画に出てくるSF映画の異世界や別の惑星のような・・・
こんな不思議な岩があちこちにいっぱいある。先ほどのサンゴ礁がそのまま陸上に出てきたみたいだ。
この見残しは一面の花崗岩の岩石で形成されていて、長い年月をかけて荒波と潮風に削られ、このような形になるそうだ。
まさに、気の遠くなるような年月が作り出した、かなり自然の斬新なアート。
人魚御殿
実は僕が見残しを訪れるのは今回が初めてではない。
もう10年以上も前、僕か初めての一人旅の時にもここを訪れている。
その時にも「なんじゃこりゃあ?」と度肝抜かれた場所がこの『人魚御殿』
岩にぽっかりと空いた穴が、いかにも人魚の住処のように見えるが・・・
正直かなり「グロテスク」な感じもする。
もしここに人魚姫がいたならば、おそらく妖艶な海の魔女に思えるだろう。
見残し・人魚御殿
見上げる人魚御殿。
自然にこんなものができたなんて、とても信じられない。
まるでSF映画の別の惑星か、ファンタジーの魔物の巣窟の映画のセットのようだ。
さて、人魚姫も魔物もいないことなので、不気味な岩肌をよじ登り、人魚のお屋敷に不法侵入♪
人魚御殿から外の眺め
人魚御殿の中から外の岩場を眺める。
ちょっと、宇宙の小惑星に来たような感じ。
海のすぐそばで宇宙を感じるなんて、人魚姫は実はなかなかのハイセンス。
人魚御殿内部
フラッシュをたいてみる。
御殿の内装は独特だ。アートのように見えるが、クジラに飲み込まれて、その胃袋にでもいるような感じもする。
蜂の巣城
人魚御殿を後にしてもう少し進むと、巨大な岩壁が見えてくる。
「蜂の巣城」と呼ばれる場所。
確かに、巨大な蜂の巣のように見える。
見残し・蜂の巣城
少し角度を変えてみる「蜂の巣城」
蜂の巣というより、エイリアンの宇宙船といったほうがしっくりくる。
鎖岩
「鎖岩」と名付けられた場所。「蜂の巣城」の下にある。
蜂の巣城から飛び出して、海へ鎖のような形の模様がついた岩が伸びている。
これは海の中に錨をおろして、このエイリアンの宇宙船を係留しているようにも見えなくはない。
何がどうやったらこんな不思議な地形ができるのか。
自然の侵食ではなく、宇宙からやってきた何かの化石ではないか。そんなことすら考えてしまうほどだ。
渦巻き岩付近
不思議な雰囲気の遊歩道はまだ続く。
まるで映画のロケセットのような不思議な場所を歩いて行く。
もし、これがどこかのテーマパークでつくられたセットなら、相当なのあるクリエイターの仕事だろう。
この「見残し」を作った自然は、世界一のクリエイターなのかもしれない。
ここは誰もを魅了する、とっても先進的なアートの世界だ。
厄抜けの門
「厄抜けの門」と呼ばれる場所。
岩の中に、いくつもの部屋が連続するように連なった穴が続いている。
まさに人が寝床として作ったとしか思えないような場所。
どうやったらこんな地形が自然にできるのか、本当に全くわからない。
自然が作り出すアートは制作過程を一切公開しない、マジックのようだ。
<FONT size="-1">龍宮路</FONT>
「龍宮路」と呼ばれる場所までやってきた。
ダイナミックな岩壁がとても気持ちのいい場所だ。
さて、そろそろ船の時間だ。これ以上ここにいると、帰路がとても大変になる。
結局海岸線を歩く半周コースすら全部行けなかった。
あまりにも表情豊かな奇岩が面白く、寄り道に道草ばかりで、前に進めず、予定時間はとっくにオーパーしている。
10数年前の訪問の時も全部見れなかったが、今回もまた、「見残し」てしまった。
海から見る見残しの奇岩
行きはとても時間がかかったが、帰りは意外なほどにあっという間に船着き場まで歩いて帰ってきた。
ちょうど船着き場に帰ってきたころ、グラスボートが見残しにやってきた。
乗船したら、ゆっくりと船は見残しを後にした。
船の上から離れていく見残しを見返る。
「エヴァンゲリオン」のようなロボットに見えなくもない岩がなんだか格好よく見えた。
海から見る人魚御殿
先ほど訪れた「人魚御殿」を海上から望む。
大きな3つの穴がどれも独特。
確かに遠くから見ると、ここに人魚姫たちが住んでいても、おかしくなさそうだ。
どうやって陸の上に上がるのか?というツッコミはなしで・・・

見残しまでは20分かかった船旅も、帰路はサンゴ礁の観察がないので10分ほどで船乗り場に帰ってこれる。
帰りはデッキに出て、見残しの風景や美しい青い海を直接楽しむのが気持ちよい。
ある意味、日本とも思えない、そして現実世界とも思えない風景。
自然が作り出した斬新なアートの世界。それが見残し。
この絶景を見残してしまった弘法大師は、かなりイタイことをしてしまったのだなぁと思わざるを得ない、見ごたえのある場所だった。

【見残し海岸】
■My評価(5段階)
★★★★☆(4.5)

2008年6月 5日 (木)

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『和カフェぐぅ』で感じる直島アート 【香川・船旅・ファミリー】

アートの島「直島」の「家プロジェクト」
小さな町全体がアートと化した本村地区。その地区には洒落た和風のカフェが何軒かある。
訪れる人がとても多い場所なので、休日の昼時にはカフェには行列。昼過ぎには食事の売り切れが頻発する。
何軒かカフェを訪れたが、行列と品切れ。
何とかたどり着いたのが、農協前のバス停からほど近いところにある「和CAFEぐぅ」だった。
和カフェぐぅの門構え
「ぐぅ」の入口は、狭い裏路地のような道の一番奥にある。
車はもちろん通れない。どこか懐かしい風景にも感じる裏路地を看板に導かれるように進む。
和カフェぐぅの店構え
門をくぐると、そこには大きな古民家。
一見、どこかの田舎のお宅のように見えるが、「ぐぅ」という暖簾がかかっているので間違いないだろう。

この「ぐぅ」というお店。今噂の女芸人が経営しているわけではない。
店の名前には、おなかが減った時の「ぐぅ~」という音、人と出会う「遇」、そして人をもてなす「遇」の意味が込められているそうだ。
そして運営しているのはなんと、香川大学の学生さん。
2005年10月に香川大学経済学部の学生が立ち上げた「直島プロジェクト」
直島での交流と経営の実践を目的としたのプロジェクトの一環として2006年の8月にオープンしたそうだ。

この古民家の屋号(家のニックネーム)は「あこや」
「あこや」を借りて、その良さを可能な限り残した懐かしさを感じさせる雰囲気を作り上げているそうだ。
和カフェぐぅの内観
引き戸を開けると普通の民家の玄関のようで、廊下が続く。
なんだか田舎のおばあちゃんのうちに帰ってきたかのよう。
エプロン姿の学生さんが出てきて席に案内してくれる。

そのコンセプト通り、座敷もふすまなどを取り払って飾り付けしているくらいで、改築はほとんどされていない。
本当に、古き良き民家をそのままに使っていて、とても落ち着く。
昔ながらの造りの家は、ふすまを開け放ったり取り外すだけで部屋と部屋がつながり、とても広い空間ができる。
ここにちゃぶ台や座卓がいくつか並べられ、客室とされている。

とても風通しのよさそうな日本の古民家。
夏に蝉の鳴き声を聞きながら、冷たいメニューを頼めば、本当に夏休みにおばあちゃんの家に帰ってきたかの様な気になれそうだ。
どこか懐かしく、落ち着ける雰囲気はとても良かった。

また、台所も民家の時そのままの状態で、厨房といった雰囲気はない。
そこで、学生さんが一生懸命料理を作っているのを遠目に見ていると、なんだか微笑ましい。
直島☆ノリノリ丼
さて、オーダーしたのは「直島☆ノリノリ丼」680円。
なかなか良心的なお値段である。
学生さんが作った味。はたしてどのようなものか・・・
これがなかなかおいしい。
ショウガ風味の豚や豆腐などの卵とじ丼の上にふんだんに直島名物のノリ乗せた一品。
なかなかお目にかかれない組み合わせで、結構おいしかった。

食事メニューはこのほかにしょうが焼きプレート(680円)のみ。
食事は簡単に作れておいしいものと、徹底した合理化を感じられる。
しかし、ここのメニューも休日には飛ぶように売れ、僕たちが入ってすぐに食事の2メニューも売り切れとなった。

もちろん食事以外にも、珈琲・紅茶、和パフェや和ッフルなどのカフェメニューも楽しめる。
また、学生自身で栽培・収穫した「ぐぅ茶」というメニューもあるそうだ。

どこか懐かしい雰囲気のお店と、それを切り盛りする若い学生たち。
日本の洗練されて心に受け継がれた古さと、新しいものを作りだそうとする若さ。
温故知新、新旧混在・・・
活気にあふれながらも落ち着ける空間がそこにあった。

【和CAFEぐぅ】
■My評価(5段階)
★★★★(4.0)

2008年6月 3日 (火)

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夕陽という名の宝探し 【香川・四輪・ソロ】

うどんツアーの終了後、妻を用事に送り、僕はひとり高松市内で時間を過ごすことになった。
さて、どこに行こうかなぁと思っていたら、今日はきれいな夕日が拝めそうだ。
どこかいい場所がないか?
ブログで知り合った地元の写真愛好家の方にお勧めを聞こうかと携帯を取り出すも、せっかく近くまで来てそれだけ聞くのも失礼に思えた。
そこで、自分で夕陽のきれいに撮れる場所を探してみようと思った。

さっそく車にいつも積んでいるツーリングマップルを開き、太陽の向きを計算して地形を読み取る。
海に沈む太陽を真正面にしても、極力水平線が見れて、それなりに島影がアクセントになる場所は・・・
あった。ここだ。

有名な屋島の西海岸。ここからならいい夕景が見れそうだ。
もちろん、屋島の上からならさらに夕日が見れるだろうが、屋島ドライブウェイは600円もかかる。
暇つぶしに貴重な小遣いで600円も使うわけにはいかない。

さっそく狙いを定めたポイントに向かう。
まるでリゾート地のように立ち並ぶマンションを過ぎると細い道。
少し行くと、広い空き地があり、そこから海岸に出入りできそうだ。

空き地に車を停めて海岸に出ると、すでに美しい夕景。
僕以外にもカメラをもった先客がいる。しかもかなりの撮影装備。
よっしゃ。大あたり。
知らない土地でも地図を頼りにきれいな夕日を見れる場所を探す。
なかなかおもしろいではないか。
ちょっとした宝探しのようなプチ企画の成功に僕はちょっとうれしかった。
そして、先客のじゃまをしないよう、僕もカメラをさっそく夕日に向けて、シャッターを切り始めた。

今回の被写体はこのイカダ。旅情を感じる。
残念ながら島影で水平線に沈む夕日は見れないが、島の影がいい背景になってくれる。

ふと見ると、波打ち際にロープが漂っている。
何だこれ?
さざなみの音に合わせて踊っているかのように、ゆらゆらと水面を漂う。
見ていると何だか不思議だ。

ロープは筏につながっているようだ。
係留しているのか、何か送っているのか。
いずれにしても、この情景に不思議なアクセントをくれる。

ふと見ると、ロープの上に何か鳥がいる。
遠くてシルエットになって何かわからない。
持っていたレンズは200mmなんで、鳥を撮るには不向きだ。
ゆらゆらと漂うロープの上で羽を休める鳥、何とも言えない風景。

反対の東側を見ると、屋島の独特の山の形が濃紺の空にシルエットになっていた。
空には丸い月がのぼっていた。
さざなみ響く、幻想的な夕景。探し物は意外に近くにあった。

2008年6月 1日 (日)

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双海町翠地区のホタル (2008.6.1) 【愛媛・四輪・ファミリー】

あっという間に暦は6月。季節はもう初夏になってきた。
僕は夏が好きだ。そして、その大好きな夏の訪れを告げてくれる風物詩がホタル。
ホタルというと夏休みに飛ぶものだと思うがその多くは「ヘイケボタル」
「ゲンジボタル」という種類は、愛媛では5月末から6月上旬にかけて里山の清流に舞い始める。
このホタルが舞い始める頃に夏の衣替えをして梅雨に突入する。夏の入口。
そして、梅雨が明けると、夏本番になる。

僕は大阪に住んでいた時は、ホタルというものをほとんど見たことがない。
だが、愛媛に住むようになり、少し車で走ればいっぱいのホタルを楽しめる場所がいっぱいある事に気づいた。
それゆえに、毎年この時期にはホタル観賞に出かける。

本日出かけたのは伊予市双海町の翠地区
ここはホタルの保護、養殖が積極的にされているホタルの名所である。
到着したのは19時過ぎ。日が沈んだとはいえ、里山に流れる川の付近は薄明るい。
川を覗きこむが、あの美しい光は全く見当たらない。
しまった、いつもより1週間早く来たのが失敗した。やはり時期が早すぎたのか・・・
そう思っていると、薄暗い藪の中に、希望の光のような淡い緑が点灯した。
「あ、光った。」
妻と指をさして、その小さくも力強く光った灯をもう一度見ようと探していると、それとは違う光があちらでも、こちらでも灯り始めた。
そして、夜の帳が里山を覆い尽くすと同時に、その暗闇は幻想的な空間へと劇的な変化を遂げた。



暗闇の中に、無数のホタルが舞い始めた。
とても数が多い。付近一帯で100匹以上はいる。一面に漂うホタルはとても美しい。
静かに光を点滅させ、漂うように光が暗闇の中を泳いで行く。
川の流れと水田の蛙の鳴き声がうるさいくらいに里山に響き渡る。
しかし、ホタルの漂う光を見ていると、音のない静寂の空間に引き込まれる。



20時前後になると、ホタルの活動は最も活発になる。
葉に止まって羽を休めるものは少なくなり、所狭しと飛び回る。
時々、ゆっくりとカメラを構える僕の方にも漂ってくる。
そっと手をその光にかざすと、ゆっくりとホタルは僕の手に止まってくれる。
つぶさないように、優しく両手でその光を包み込む。
その小さな光はとてもまぶしく、包んだ僕の手をはっきりとわかるくらいに照らす。
彼らはたった成虫してからは2週間の命。必死に次の世代へと命を繋ぐために、今飲まず食わずで闇を照らしている。
人間が乱暴に触っただけでその命は大きく削られる。
その眩しい灯りは、はかない命。
そっと向こうから止まってくれるのを待つ。

手の上で放たれる美しい光を見ていると不思議にここが休まる。
そう思っていると、ふわっと光が夜空に舞いあがった。
そしてゆっくりと僕から離れていく。なんとも言えない切ない気持ちになる。



さて、ホタルの撮影だが、ケイタイやコンパクトカメラではきれいに撮れません。
三脚と長時間露出ができる機能の付いたカメラが必要。
ホタルは強い光を嫌うので、フラッシュの使用は絶対に控えたい。
フラッシュを使ってもホタルを撮ることはできず、周囲に三脚を立てて撮影している人の写真を台無しにもします。

上の写真は以下の設定で撮りました。
シャッター速度/160秒解放
F値/9
ISO/1600


しかし夜の撮影はピントが合わせるのが難しい。まともに撮れた写真は有りませんでした・・・
ちなみにこの川は道路沿いにあるので、ホタル鑑賞に来る車が多く、スポットライトで何度も川の中を照らされます。
本格的にホタルを撮影しようとする人にとっては不向きな場所といえます。
今日はまだ人が少なく、ゆっくりと撮影出来ましたが、来週はホタルまつり。
美しいホタルの舞を鑑賞出来ても、大勢の人や車で撮影は難しそうです。



【双海・翠地区のホタル】
■My評価(5段階)
★★★★☆(4.5)

時期 5月下旬~6月中旬
祭り 6月第1土曜日にほたるまつり
鑑賞 道沿いの川に飛ぶホタルを鑑賞

2008年5月30日 (金)

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マイントピア別子の産業遺跡 【愛媛・散策・グループ】

ツガザクラを求めて登った別子銅山
下山後はいつも立ち寄る場所がある。「道の駅マイントピア別子」だ。
ここは別子銅山の最後の採鉱本部があった場所。
昭和48年の閉山後、施設のほとんどが取り壊されたが、その跡地が別子銅山の歴史を知るテーマパークとして整備されている。
そして、大きくて気持ちの良い温泉があるので、ここで登山の後はいつも汗を流すのだ。

去年の温泉の入浴レポートはこちら
<FONT size="-1"><B>端出場水力発電所</B></FONT>
温泉で登山の汗と疲れを流したら、その後少し園内を散策。
お金を払って入場する観光坑道も良いが、それ以上の魅力は園内に点在する産業遺跡。
最後の採鉱本部があっただけに、その産業遺跡の規模は大きい。
対岸には巨大な発電所が今もそのままの形で残っている。
これは明治45年につくられた「端出場水力発電所」
山の上から約600mの落差で水を落とし、銅山に使う電力を発電していた。
当時の規模としては東洋一を誇ったとか。
100年近く経つ今もその頑丈な建物は崩れることもなく、内部には当時の発電機が残っている。
ただし、残念ながら内部は立ち入ることはできない。
また、この発電所のすぐ下を流れる川。とても美しい。
自然のままの姿かと思いきや、多くの場所が遠い昔に護岸された跡が残っている。
レトロな風景に流れる川の水は、とても澄んだエメラルドグリーンだ。
住友・泉寿亭
住友企業の迎賓館であった「泉寿亭」がマイントピア別子の中に移築・保存されている。
中は自由に見学可能。
昭和12年に建てられた京風数寄屋造の落ち着いた佇まい。
しばしここで休息してみるのも良いかもしれない。
別子銅山・第四通洞
さて、マイントピア別子の北側の奥には、すごい産業遺跡が残っている。
別子銅山の最終期には、海面下1000mまで、クモの巣のように地下坑道が走っていた。
その地下世界への入口として、大規模な坑道がいくつかここに造られている。
そのうち、簡単に近づけるのがこの「第四通洞」だ。
大正4年に完成した通洞で、その全長は4596m。
他の通洞と連絡することにより、昭和17年には全長10kmにも延長されている。
昔はこの鉄橋を列車が渡り、屈強な抗夫たちを次々と地下へと送りこんでいたそうだ。
第四通洞内部
通洞の入口までは安全に違う橋で近寄れる。
入口は固く封鎖されているが、中は閉塞されていない。
今も海面下1000m、総延長700kmの坑道へと続く入口がぽっくりとここに口をあけている。
暗闇の中からは流れる水の音。
そして、冷たい空気、時には暖かい空気が地下から噴き出し、地上の空気に触れたとたん真っ白になる。

別子銅山には多くの坑道の入口が残るが、多くが閉塞(埋め戻し)や扉などで封印されていて、深い地下の世界とはつながっていない。
しかし、この第四通洞は閉塞されていないようで、直に地下の世界を感じられる。
出来ればあのトロッコに乗って、この地下の世界に入っていきたい。
しかし、閉山後30年放置されているこの坑道の内部に入るのは、とても危険だ。
そのため、監獄のような鉄柵で入口は封鎖され、センサーで侵入を見張る徹底ぶり。
ただ、今はこの地下の1歩手前で、真っ暗な地下に命をかけた男たちのロマンが広がっている。
噴き出す地下の風に、その熱い思いの欠片を感じ取ることだけが、できること全てだった。

2008年5月29日 (木)

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「瀬戸内海航路」 アートの島・直島2 【香川・島旅・ファミリー】

直島の家プロジェクトをゆっくり鑑賞したら、高松に戻ることにする。
とても見どころのある直島のアート群。
これは宿泊してゆっくりと鑑賞すれば良かったと思うくらいだ。

家プロジェクトのある本村地区から歩いて宮ノ浦港まで30分。
島の風景を見ながら歩いて行く。
移住したと思われる、アートを解すると思われる人の家。
くつろぐ猫。
島の中の遍路道・・・
とても味わいのある風景が所々に点在していた。

途中、文教地区といって、保育園から中学校まで広い場所で隣接する地区がある。
建物はどれも有名な建築家が設計しており、目をひかれるデザイン。
この場所だけ見ると、とても小さな島の学校とは思えない。
広大な土地に子供を集めて一貫教育するような場所。
かつて、この直島が工業で栄え、大勢の子どもが通っていた名残なのかもしれない。
草間彌生「あかかぼちゃ」
さて、港に着いたらフェリーの出航まで少しくつろぐ。
ここは「海の駅なおしま」として整備されている。
フェリーターミナルはコンクリート打ちっぱなしでガラスをふんだんに使った斬新な建物。
大きな庇のような屋根と、フェリー会社のオープンオフィスがとてもおしゃれ。
まさにアートの島の玄関としてふさわしい。
余談だが、この中のカフェのソフトクリームがなかなかおいしかった。

そして、港の広場には、いつくかの芸術家の作品が設置されている。
そのひとつがこの草間彌生氏の「赤かぼちゃ」だ。
海の上からでも目を引く、ちょっと毒々しいデザイン。
中に入ることができ、足元にほのかにライトが灯っているなど不思議な感じだ。
真っ暗な中から丸穴を通して見る、外の美しい瀬戸内の島の風景はとても素敵。
その不思議さに人はこの中に誘い込まれる。
そして、時々その魅力から抜け出せなくなった人がこんな大変なことになっている・・・
直島付近の夕日の海
再び四国汽船のフェリーに乗り込む。そして、船は高松に向けて出港した。
夕日傾く船の上から眺める瀬戸内海の島の姿はとても旅情を誘い、美しい。
フェリーがぶつかる?
船の前方を見ると、なんと、タンカーや他のフェリーが急接近!!
危ない、ぶつかる??
船で混雑する瀬戸内海
と、思ったら見事に船は難なく通過していった。

多くの島が点在する瀬戸内海の航路の多さは半端ではない。
海の幅が狭く、船と船の距離も近づくこの場所では、芸術的な操船術が輝く。
船と船のかけひきを見ているだけでも、とても楽しかった。

2008年5月28日 (水)

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別子銅山に咲くツガザクラ 【愛媛・登山・グループ】

5月20日前後の週末はここ数年、毎年出かける山がある。
愛媛県新居浜市の別子銅山
ここは江戸時代から昭和48年まで銅の採掘が行われていた日本三大銅山のひとつだ。
この銅山は開山から閉山まで「住友」が経営し、大きな財閥に育った礎であった。
200年を超える年月を1つの企業が鉱山を経営し続けた例は世界にも見ない。

鉱山は開発が終了した区画から自然への帰化が図られていた。
人が住んでいた鉱山街や社宅、工場はすべて取り壊され、木々が植えられた。
そのため、この別子銅山は今は深い森に包まれているが、その森の中には何千人という人が生活し、働いた跡が残っている。
文明を放棄して自然に帰った町はどうなるのか。
近未来的な映画やアニメに出てきそうな世界が、本当にこの森の中にある。

その鉱山跡に魅せられて、何度もここに通うようになった僕。
しかし、この鉱山跡に高山植物が咲くことを知り、それが咲く時期には毎年訪れるようになった。
北アルプスの夏に咲く「ツガザクラ」という高山植物が、ここ、四国の標高1300m弱の山に咲くのだ。
しかもその山は、100年近く前までは銅山開発とその煙害ではげ山になっていた山だ。
厳しい自然と自然破壊に耐えて咲き続ける花の美しさに今年も誘われた。

天気はあいにくの雨。
しかし、雨は昼ころには晴れ間が広がるという天気予報を信じ、別子銅山北側の登山口「日浦」に訪れた。
この時期はツガザクラ目当ての登山客でごった返す登山口も、雨模様のためとても人が少ない。
しかし、登山を開始する頃には雨は止んだ。
辺りに漂う濡れた緑の香。とても清々しく、何度も深呼吸してしまう。
そういえば最近は天気が悪い時は山には行かないようになっていた。
山のすがすがしい香は、この雨のあとの緑の香が一番気持ち良かったんだ。
天気が悪くても僕を誘ってくれたツガザクラ。忘れていたものを思い出させてくれたようで、なんだかとてもうれしい。
接待所・採鉱課長宅跡
登山を開始して10数分。
この銅山で働いていた人の墓所を過ぎしばらく登ると、突然おびただしい数の石垣が現れる。
ここは昔の社宅の跡。その石垣の一番奥には、今も立派なレンガ壁が残されている。
ここは接待館や採鉱課長の邸宅があった場所。
当時は日本庭園があり、要人の宿泊時には京都から芸者が招かれたというのが驚きだ。

またここより少し奥には最盛期には300人近い生徒が学んだ小学校。
本格的な舞台装置をもち1000人を収容できた劇場もあった。
アカモノ
登山道には「アカモノ」という花がいたる所に生息している。
別名イワハゼというツツジ科の植物で、とても小さな花を初夏に咲かせる。
まだ花期は早かったが、咲いているものもいくつかあった。
その姿は目指す「ツガザクラ」にとても似ているが、ツガザクラは砂礫地帯や岩の隙間にしか生えない。
土の地面から生えているのはこの「アカモノ」である。
別子銅山の新緑
昔の町の跡を過ぎ、川沿いに建ち並んだ工場の跡を進んでいくと、「ダイヤモンド水」のある広場にたどり着く。
ダイヤモンド水とは、地質調査の途中、水脈にぶつかった事で、地下80mよりこんこんと湧きだした冷たくおいしい水。
採掘に使ったダイヤモンドをちりばめたロッドが今も、地中に取り残されているので、このような名前がついたそうだ。

ここでおいしい水を頂いて少し行くと、空から陽射しが降ってきた。
やった。天気が回復してきた。
美しく流れる銅山の川に映える、照らされた新緑がとても眩しく感じた。

さて、余談になるが、この別子銅山、石見銀山が世界遺産に登録されてから、密かに世界遺産登録を狙う動きがある。
久々に訪れると、突然登山道がびっくりするくらい整備されていた。
ただでさえ、何千人という人が住んでいた町の跡。道はしっかりしていたのだが、崩れた場所や老朽化した橋はすべてきれいに整備されていた。
工場の廃パイプを使った味のある橋が取り換えられたのは残念だが、年々老朽化が進んでいたので仕方がない。
第一通洞
登山道を少し外れると、銅山開発の遺構が見つけられる。
ここは「第一通洞」という、山を掘りぬいた坑道。
明治19年の完成で、1021mもの長さがある。
ここは南側の入口になるが、北側の入口前には駅があり、明治26年に完成する山岳鉄道の発着駅になっていた。
この中がどうなっているかとても気になるが、残念ながら厳重に封印・閉塞されていてその