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2008年7月 8日 (火)

記事タイトル

奥伊予の奇祭・どろんこ祭り 【愛媛・四輪・ファミリー】

愛媛にはいろいろな歴史ある華やかな祭りがある。
「新居浜太鼓祭り」や「西条まつり」、宇和島の「牛鬼まつり」などが有名だ。
どれも一度は行ってみたいと思っていても、まだどれも行っていない。
今年は祭りにどれかに行ってみたい。
そう思っていた矢先に、何故だか四国では梅雨が明けた。
例年より2週間近く早い梅雨明けだが、梅雨の濃度は濃く、雨が降らなかった日はないくらい。
その濃厚な梅雨と高騰するガソリン代のおかけでこの1か月どこにも出かけていなかった。
よっしゃ、ならばこの久々の晴れ間に祭に行こう。
そう思って出かけたのが、これも行きたいと思って全然行っていなかった「どろんこ祭り」だ。

「どろんこ祭り」とは、正式名称は土井三嶋神社の「御田植祭り(おんだまつり)」といい、愛媛県の無形文化財指定に指定されている。
毎年、7月の第1日曜日に行われる。
「奥伊予の奇祭」と称されるこの祭りはとてもユニークで、写真コンクールを祭りと一緒に開き、撮影を推奨していることもあり、多くのカメラマンが県内外から訪れる。
普段は静かな山村が、すごい人手と熱気に包まれる1日となる。
どろんこ祭り・牛による代かき
まずは最初の見せ場の「牛による代かき」
牛が水に入った。祭りの始まり。
それと同時に、真夏の肌を焦がす太陽が雲の中から現れ、そして、蝉が鳴き始めた。
夏がまさに、祭に呼び出されたかの様に、今始まった。
どろんこ祭り・牛による代かき
7頭の牛がいたが、横一列に並べるまで、かなり時間がかかった。
興奮して1匹で代かきを始めてしまう牛。
モォ~、イヤだぁ~と、田んぼから逃走しようとする牛。
それでも牛をきれいに横一列に並べたら、代かきスタート!
牛7頭が一斉に田んぼを進む様子は大迫力だ。

話は変わるが、農耕牛など、平成の世には存在しない。
幸い、四国カルストの麓にあたるここ城川は酪農が盛んな場所。
今日、代かきをしている牛たちは近くにの牧場の肉牛で、1か月間、この日のために調教したという。

牛舎の中にしかいない牛は、外に出ることも大変。
まともに歩く事もできない牛が、こんな泥田の中で人の指示に従い鋤を引くのは相当大変だという。
1.5kmf離れたこの田まで来るのにも相当鍛練が必要だったそうだ。
この祭りに参加した牛はその苛酷な作業とストレスで50kg以上も体重を落とすことがしばしば。
体重を元に戻すには、何か月もかかることもあり、飼い主には祭りのためとはいえ、相当な損害になるそうだ。
そこまでしてでも守りたい地元の伝統行事。とても力が入っている。
どろんこ祭り・牛による代かき
何周か牛が代かきをしたら、三嶋神社の神主さんに祈りをささげられ、ラストスパートに。
必死の形相で牛たちは田の中を進む。

この牛を操る人間にも、熟練の技が必要。
牛の代かきの方法には48通りあるとされ、すべて知らないと牛を操れないとか・・・
1人1頭の牛を縄とムチで操り、左右両端の牛を担当する人が最も熟練者で牛の群れを統率する。
もちろん、職業として牛を操ることはないので、その技の伝承は難しく、牛使いの年々高齢化が進んでいる。
しかし、近年には若手が加わり、去年は木5頭だった牛だが、今年は7頭の牛が参加できたそうだ。
祭りを引き継ぐ新しい世代の決意。そして、見事に牛を操る熟練のベテランの技。
すべてが牛の迫力と見事なコンビネーションとして実現され、とても素晴らしかった。

代かきが終わると、遠く離れていても聞こえる響く牛たちの息づかい。
ゆっくりと神田を後にしていく牛たちとそのパートナーにはには惜しみない拍手が贈られた。

どろんこ祭り・畔豆植え
続いて行われたのが「畔豆植え」
昔によくおこなわれていた、田んぼの畦に大豆を植える作業を再現したもの。
どろんこ祭り・畔豆植え
真面目に作業をする若者だが、ここでハプニング。
田に突き刺さった鍬を思いっきりひっこ抜いたら、勢いあまってドボン!
ひとりの若者が巻き添えをくらってしまう。
一発触発。しばしにらみ合いとなるが、大勢の人の目があるので、すぐに作業に戻る。
どろんこ祭り・畔豆植え
が、やっぱり我慢ならないようで。
人目をはばからず、取っ組み合いの喧嘩。
すぐに作業中の人や、村人が仲裁に入るが・・・
どろんこ祭り・畔豆植え
仲裁に入った人を巻き込んて、大ゲンカが始まる。
ドボン!バシャン!と田んぼの中に手当たり次第放り投げていく。
突然始まった喧嘩だが、観客は大笑いで、一生懸命カメラでその様子を撮っている。
実はこの喧嘩は演出。
畔豆植えの実演なんてほとんど関係なく、このドタバタ活劇が見どころだ。
どろんこ祭り・畔豆植え
参加者の紹介のアナウンスを聞いていると、演じているのは柔道の有段者や、血気盛んな高校生。
英語の指導補助員のアメリカ人や、前任の指導補助員のアメリカ人もわざわざやってきて参加。
諸事情で、突然数日前に出場が決まった参加者もおり、村の暖かいコミュニティと豊かな国際色が泥田の中で混じり合う。
どろんこ祭り・畔豆植え
どんどん戦いはハードになっていき、バトルロワイヤルのレスリング大会と化していく。
武闘派の若者(中には40代の教師も)が大技を繰り出すたびに、観客席からは歓声があがる。
どろんこ祭り・畔豆植え
1本背負いやドロップキック、ついにはブレーンバスターなどの大技も炸裂。
しかし、武術経験者が多いので、見事に受け身はとれている。
泥の中での勝負は相当にきついようで、最後の方にはみんなヘロヘロ。
最後はみんなで手を取り合って和解。めでたしめでたし・・・

どろんこ祭り・さんばい降ろし
さて、次に始まったのは「さんばい降ろし」という神楽。
無病息災、五穀豊穣を祈る神事。
3人の大夫が鉦・太鼓を演奏していると、なんだか悪そうな輩がやってきた。
この天狗のような人が「大番」という祭りの主役。
何とか神楽に参加できるよう、大夫たちにちょっかいをかける。
どろんこ祭り・さんばい降ろし
仕方なく神楽に参加させた大夫たち。
貢物を供える舞にも大番は参加し、神に感謝と祈りをささげる。
が、このあと大番が足を滑らせて田んぼにどぼーん・・・
どろんこ祭り・さんばい降ろし
田んぼに落ちた大番を放っておいて、再び3人の大夫たちで神楽が演奏される。
それを気に入らない大番。
なんと、大夫を田んぼの中に引きずり落とし、楽器を奪ってしまう。
どろんこ祭り・さんばい降ろし
奪った楽器で演奏に加わる大番。
が、時々横の大夫を見つめたかと思うと、いきなり田んぼに落としたりして悪さを繰り返す。
そのうち、勢いあまって、何度も自分で田んぼに落ちてしまう。
どろんこ祭り・さんばい降ろし
大夫たちは変わり変わり演奏に合わせて舞を舞う。
大番も舞わしてもらうが、何度何度も勢いあまって田に落ちてしまう。
ちょっとカチンときたのか、大番は一気に2人の大夫を正面から突き落としてしまう暴挙にでる。
どろんこ祭り・さんばい降ろし
最後は神に奉納した貢物を神棚からおろしていく儀式。
が、その途中、太鼓をたたきながらも大番は、事あるごとに大夫たちを見事に田んぼへ何度も落としてしまう。
どろんこ祭り・さんばい降ろし
無事に??儀式は終了。
そのとたん、今までは大番のなすがままにされていた大夫たちの反撃。
突然大番を捕まえて、お仕置きとばかりに3人がかりで田んぼの中に思いっきり放り込む!
どろんこ祭り・さんばい降ろし
でも、最後は勢いあまって、みんな田んぼの中にドボン!
お約束でオチました。

最後はこの神田のすぐ近くにある小学校の女の子たちが菅笠に浴衣を纏い、かわいい早乙女となって、手踊りを楽しませてくれました。
その後は男の子も参加してのお田植。祭りのフィナーレを飾ってくれました。
村人たちの熱い祭はこれで終わったが、暑い夏は今始まったばかりだ。
見事に真っ赤に日焼けで腫れあがってしまった腕の熱さと、素晴らしい祭りを見た心の熱さに、僕も夏の熱さの実感を祭りの後に楽しんでいた。

さて、ここで祭りについての案内です。
まず、駐車場ですが、三嶋神社に隣接する近くの小学校校庭と近くの野外活動施設の駐車場が有料で開放されていました(普通車500円)
相当な人出ですが、駐車場は約600台分あるようで、問題は特になさそうでした。

舞台となる「神田」は三嶋神社境内の奥にあり、周りにはトイレ数か所と露天も多く出ています。

観覧ですが、基本的に屋根はありません。
雨や日差しの対策は各自で行う必要があります。(この祭りは雨天決行)
また、会場への脚立は持ち込み禁止。
三脚や椅子を使えるエリアも制限されています(桟敷席の前は禁止・桟敷席は早い者勝ち)

また、アマチュア・プロカメラマンがとても多く訪れます。
通路で立って鑑賞しようとすると、後方でカメラ・三脚を構えたカメラマン達に「のいてくれっ」と怒鳴られることもしばしばです。
(カメラマンは早くに場所取りをしていて、「座って後方の視界を遮らないように鑑賞する」というのが、どうやら暗黙のルールとなっているようでした)
ちなみに最前列のアリーナは泥をかぶる可能性があり注意が必要です。
観客が高価なカメラを持っていることは祭りの参加者も重々承知していますが、飛んでくるものは飛んで来ます。

2008年6月28日 (土)

記事タイトル

道後平野サイクリング2(復路) 道後温泉・市内遍路 【愛媛・自転車・ソロ】

道後平野を横断するサイクリング。
この平野を流れる「重信川」の下流域の始まり付近にある「レスパシティ」でサイクリングは折り返し。
レスパシティの中にあるスーパーで遅めのお昼を調達して平らげたら、復路の出発だ。
同じ道を帰るのも何なので、途中から違うルートを走ることにする。
往路はいくつもの泉が湧く重信川のほとりの自然を楽しむコースだった。
帰りは、松山市内の四国霊場をお参りしながら道後温泉を目指す約19kmの「プチ遍路」コースだ。

往路に苦しめられた強烈な向かい風は復路では頼もしい追い風。
あんなに重かったペダルが信じられないほど軽い。
最速ギアで自転車道をまるで風のようになって走る。
往路では1時間ほどかかった道をたった15分で走り抜けた。
西林寺
重信川に架かる「久谷大橋」まで河川敷の道を戻れば、この橋を渡る県道40号線を北上する。
するとすぐに四国霊場48番の「西林寺」に到着する。

ここで、少しお遍路について。
お遍路とは、88か所のお寺をめぐって四国を一周する巡礼・修行の旅。
弘法大師の足跡をたどる旅で平安時代に始まったとされる。
今もその信仰は四国には深く根付いていて、巡礼をする人は県内外から多く訪れる。
お遍路さんの格好は、白装束に菅笠、そして弘法大師の化身とされる金剛杖を持つ。
車や公共機関、観光バスを使い巡礼する方がほとんどだが、歩きで何十日もかけて巡礼する人も多い。
四国の道を車で走っているとそんな「歩き遍路」という人を多く見ることができる。
四国には「お接待」という風習が残っていて、お遍路さんをもてなすことで、自らの願いをお遍路に託すというもの。
その為、歩き遍路には四国の人はとても優しく、食べ物を頂いたり、時には宿を提供してもらったりなどということもある。
僕も四国に転勤したときはこのお遍路を自転車でやってみたい、そう思っていたがまだまったく何も出来ていない。
今回はここで、少しだけお遍路をしてみる事にする。

さて、まずは西林寺の仁王門をくぐる。
この門は、罪人がくぐれば地獄に堕ちるという恐ろしい門。少しドキドキしながら境内へ入り、お参りする。
通常、お遍路をするときには本堂・大師堂で読経し、納経帳に朱印をもらうなど、参拝の方法が細かく決められている。
だが僕はお遍路の格好していなければ道具も何も持っていない。この日は普通に参拝する。
僕がお参りしている間にもお遍路さんが次々やってきて、般若心経を読経している。
浄土寺
西林寺から県道40号線を北上。
伊予鉄道横河原線の鷹ノ子駅を左折して、線路沿いに道を走る。
看板を目印に、少し住宅地に入ったところに49番「浄土寺」がある。
市街地の喧騒がうそのように、静かで趣のある山門には長い歴史と人々の思いを感じざるを得ない。
繁多寺
浄土寺からは「日尾八幡神社」のある交差点を右折して北上する。
同じ県道40号線だが、ここからは「松山東部環状線」という名称がある。
途中、案内板を目印に県道から外れて上り坂を登って行く。
小高い山の裾野に、50番「繁多寺」がある。
山に囲まれた、自然の香が漂う静かな山寺。
もう時間が遅いということもあり、訪れる人の数もとても少なかった。
ちなみにお遍路さんは参拝をした印に納経帳に朱印をもらうのだが、その受付時間は午後5時まで。
すべてのお寺の共通の時間で、この時間を回るとお遍路さんは参拝ができなくなる。
そのため夕方5時を回ったお寺は、とても静かになる。
石手寺入口
繁多寺から松山東部環状線をさらに北上し、石手川を渡ると、51番「石手寺」に到着。
道後温泉からほど近いこともあり、今までのお寺とは違い多くの観光客も訪れるお寺だ。
昔、この一帯を治める領主の男の子どもは生まれた時から左手を握ったまま開けなかった。
このお寺で祈祷をうけると、その手からこのお遍路の元祖とされる衛門三郎の生まれ変わりを示す小石が出てきたという。
その言い伝えがこのお寺の名前の由来で、安産祈願に訪れる人も後を絶たない。
お寺の入口には弘法大師の像があり、遍路用品のお店もある。
石手寺参道
山門へと参道を進む。
もう時間は遅く、訪れる人の姿はほとんどない。
静かな参道は、とても神秘的で厳かな空気が漂う。
この先には鎌倉時代に造られた歴史ある山門が待っている。
石手寺
黄昏空に三重塔がシルエットとなり、訪れる人がいなくなった広い境内は、不思議な雰囲気。
蝋燭の光に照らされた薄暗く静か境内に漂う線香の煙。昼間の喧騒が嘘のようで、仏が現れてもおかしくない。
石手寺の境内はとても広く、洞窟めぐりや、山の中を歩きまわってお参りする小さな霊場などがある。
今日はもう遅いが、今度はゆっくりと訪れてみたい。
道後温泉
石手寺の前の道を西へ向かって走ると、旅館が立ち並び始める。
ここが愛媛県最大の観光地、道後温泉
聖徳太子も入ったと言われる道後温泉は日本最古の温泉。
そのシンボルであるのが「道後温泉本館」
その前の道は、以前は車や観光バスで大渋滞だったが、近年は石畳の道になり、車が入ってこれない。
夜でも多くの観光客や、浴衣を着た近隣の旅館の宿泊客でとても賑わっている。
道後温泉本館
道後温泉本館は、夜のライトアップがとても美しく、幻想的。
宮崎アニメの「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルとなったと言われ、すぐそばにはジブリショップもある。
明治27年に建築された本館は木造3層構造。
中には又新殿 (ゆうしんでん)という、皇族専用の浴室もある。
現在は使われておらず、有料で内部を見ることができる。
赤く輝く屋上にある楼閣は振鷺閣 (しんろかく)
純和風建築の本館にあって異色の光を放っている。
赤いギヤマンをはめ込んだ障子越しに放たれる光は、とても不思議で、幻想の世界へと誘われる。
振鷺閣の中には太鼓があり、朝・昼と夕方の3回、打ち鳴らされる。
朝の太鼓とともに、地元の人が一番風呂を求めて道後温泉の本館に訪れる。
そんな湯の町の刻を告げる刻太鼓の音は「残したい日本の音風景100選」にも選ばれている。
夜の道後温泉
道後温泉本館の側面。
大衆浴場としてはとても大きく、重厚な造りは貴重で、国の重要文化財にも指定されている。
1階には浴室、2階には大広間、3階には個室がある。
本館の入浴には、入浴方法によって料金が異なる。
入浴のみ、大広間での休憩つき、個室での休憩つき、グレードが上の浴室の利用など。
休憩室を利用すると浴衣を貸してくれるので、この縁側からタオルを肩にかけて身を乗り出して風に当たるのが気持ちいい。

この道後温泉には、夏目漱石正岡子規が足しげく通っている。
夏目漱石の小説「坊ちゃん」は松山に教師として赴任した漱石自身の体験をもとに書かれたもの。
小説で主人公は、道後温泉をモデルにした「住田の温泉」に毎日通っており、夏目漱石がこの温泉をいかに気に入っていたかがわかる。
ただし、漱石が松山で気に入ったものはこの温泉のみのようだ。
松山の町や住んでいる人の事は、「品がなくどうしようもない田舎者」のように相当に悪く書いている。
そんな松山をバカにした「坊ちゃん」だが、今では堂々と松山のイメージキャラクターになっている。
「坊ちゃんスタジアム」や「坊ちゃん列車」、「坊ちゃん団子」など、松山のものならなんでも坊ちゃんと名を冠しているのが不思議だ。
ちなみに道後温泉本館の3階には「坊ちゃんの間」があり、夏目漱石の松山での足跡を紹介している。
道後温泉駅
道後温泉の歴史は古く、周辺には歴史やレトロ感じる場所がたくさんある。
そのひとつ、伊予鉄道の「道後温泉駅」
道後温泉観光の入口となる路面電車の駅だが、駅舎にも電車にもレトロの香りが漂う。
路面電車には最新型も走っているが、古い電車には木の床の内装など、とても歴史を感じる車両もある。
特に夜の時間は、不思議な雰囲気に包まれ、平成の世にいることを忘れさせてくれる。

ここからは路面電車の線路沿いにJR松山駅を目指す。
途中、山の上にそびえる「松山城」がある。
夜はライトアップされていて、闇夜に浮かぶ美しい姿は松山のもうひとつのシンボル。
松山城のお堀を過ぎてもう少し西へ向うと、日本でここにしかない平面交差する線路がある。
伊予鉄道の列車の通過を踏切で路面電車が待つという、面白い風景が見られる。
この踏切を超えると、ライトアップされた歴史を感じる駅舎が見えてくる。
JR松山駅に到着。今回のサイクリングはここで終了だ。
地図

2008年5月30日 (金)

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マイントピア別子の産業遺跡 【愛媛・散策・グループ】

ツガザクラを求めて登った別子銅山
下山後はいつも立ち寄る場所がある。「道の駅マイントピア別子」だ。
ここは別子銅山の最後の採鉱本部があった場所。
昭和48年の閉山後、施設のほとんどが取り壊されたが、その跡地が別子銅山の歴史を知るテーマパークとして整備されている。
そして、大きくて気持ちの良い温泉があるので、ここで登山の後はいつも汗を流すのだ。

去年の温泉の入浴レポートはこちら
<FONT size="-1"><B>端出場水力発電所</B></FONT>
温泉で登山の汗と疲れを流したら、その後少し園内を散策。
お金を払って入場する観光坑道も良いが、それ以上の魅力は園内に点在する産業遺跡。
最後の採鉱本部があっただけに、その産業遺跡の規模は大きい。
対岸には巨大な発電所が今もそのままの形で残っている。
これは明治45年につくられた「端出場水力発電所」
山の上から約600mの落差で水を落とし、銅山に使う電力を発電していた。
当時の規模としては東洋一を誇ったとか。
100年近く経つ今もその頑丈な建物は崩れることもなく、内部には当時の発電機が残っている。
ただし、残念ながら内部は立ち入ることはできない。
また、この発電所のすぐ下を流れる川。とても美しい。
自然のままの姿かと思いきや、多くの場所が遠い昔に護岸された跡が残っている。
レトロな風景に流れる川の水は、とても澄んだエメラルドグリーンだ。
住友・泉寿亭
住友企業の迎賓館であった「泉寿亭」がマイントピア別子の中に移築・保存されている。
中は自由に見学可能。
昭和12年に建てられた京風数寄屋造の落ち着いた佇まい。
しばしここで休息してみるのも良いかもしれない。
別子銅山・第四通洞
さて、マイントピア別子の北側の奥には、すごい産業遺跡が残っている。
別子銅山の最終期には、海面下1000mまで、クモの巣のように地下坑道が走っていた。
その地下世界への入口として、大規模な坑道がいくつかここに造られている。
そのうち、簡単に近づけるのがこの「第四通洞」だ。
大正4年に完成した通洞で、その全長は4596m。
他の通洞と連絡することにより、昭和17年には全長10kmにも延長されている。
昔はこの鉄橋を列車が渡り、屈強な抗夫たちを次々と地下へと送りこんでいたそうだ。
第四通洞内部
通洞の入口までは安全に違う橋で近寄れる。
入口は固く封鎖されているが、中は閉塞されていない。
今も海面下1000m、総延長700kmの坑道へと続く入口がぽっくりとここに口をあけている。
暗闇の中からは流れる水の音。
そして、冷たい空気、時には暖かい空気が地下から噴き出し、地上の空気に触れたとたん真っ白になる。

別子銅山には多くの坑道の入口が残るが、多くが閉塞(埋め戻し)や扉などで封印されていて、深い地下の世界とはつながっていない。
しかし、この第四通洞は閉塞されていないようで、直に地下の世界を感じられる。
出来ればあのトロッコに乗って、この地下の世界に入っていきたい。
しかし、閉山後30年放置されているこの坑道の内部に入るのは、とても危険だ。
そのため、監獄のような鉄柵で入口は封鎖され、センサーで侵入を見張る徹底ぶり。
ただ、今はこの地下の1歩手前で、真っ暗な地下に命をかけた男たちのロマンが広がっている。
噴き出す地下の風に、その熱い思いの欠片を感じ取ることだけが、できること全てだった。

2008年5月28日 (水)

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別子銅山に咲くツガザクラ 【愛媛・登山・グループ】

5月20日前後の週末はここ数年、毎年出かける山がある。
愛媛県新居浜市の別子銅山
ここは江戸時代から昭和48年まで銅の採掘が行われていた日本三大銅山のひとつだ。
この銅山は開山から閉山まで「住友」が経営し、大きな財閥に育った礎であった。
200年を超える年月を1つの企業が鉱山を経営し続けた例は世界にも見ない。

鉱山は開発が終了した区画から自然への帰化が図られていた。
人が住んでいた鉱山街や社宅、工場はすべて取り壊され、木々が植えられた。
そのため、この別子銅山は今は深い森に包まれているが、その森の中には何千人という人が生活し、働いた跡が残っている。
文明を放棄して自然に帰った町はどうなるのか。
近未来的な映画やアニメに出てきそうな世界が、本当にこの森の中にある。

その鉱山跡に魅せられて、何度もここに通うようになった僕。
しかし、この鉱山跡に高山植物が咲くことを知り、それが咲く時期には毎年訪れるようになった。
北アルプスの夏に咲く「ツガザクラ」という高山植物が、ここ、四国の標高1300m弱の山に咲くのだ。
しかもその山は、100年近く前までは銅山開発とその煙害ではげ山になっていた山だ。
厳しい自然と自然破壊に耐えて咲き続ける花の美しさに今年も誘われた。

天気はあいにくの雨。
しかし、雨は昼ころには晴れ間が広がるという天気予報を信じ、別子銅山北側の登山口「日浦」に訪れた。
この時期はツガザクラ目当ての登山客でごった返す登山口も、雨模様のためとても人が少ない。
しかし、登山を開始する頃には雨は止んだ。
辺りに漂う濡れた緑の香。とても清々しく、何度も深呼吸してしまう。
そういえば最近は天気が悪い時は山には行かないようになっていた。
山のすがすがしい香は、この雨のあとの緑の香が一番気持ち良かったんだ。
天気が悪くても僕を誘ってくれたツガザクラ。忘れていたものを思い出させてくれたようで、なんだかとてもうれしい。
接待所・採鉱課長宅跡
登山を開始して10数分。
この銅山で働いていた人の墓所を過ぎしばらく登ると、突然おびただしい数の石垣が現れる。
ここは昔の社宅の跡。その石垣の一番奥には、今も立派なレンガ壁が残されている。
ここは接待館や採鉱課長の邸宅があった場所。
当時は日本庭園があり、要人の宿泊時には京都から芸者が招かれたというのが驚きだ。

またここより少し奥には最盛期には300人近い生徒が学んだ小学校。
本格的な舞台装置をもち1000人を収容できた劇場もあった。
アカモノ
登山道には「アカモノ」という花がいたる所に生息している。
別名イワハゼというツツジ科の植物で、とても小さな花を初夏に咲かせる。
まだ花期は早かったが、咲いているものもいくつかあった。
その姿は目指す「ツガザクラ」にとても似ているが、ツガザクラは砂礫地帯や岩の隙間にしか生えない。
土の地面から生えているのはこの「アカモノ」である。
別子銅山の新緑
昔の町の跡を過ぎ、川沿いに建ち並んだ工場の跡を進んでいくと、「ダイヤモンド水」のある広場にたどり着く。
ダイヤモンド水とは、地質調査の途中、水脈にぶつかった事で、地下80mよりこんこんと湧きだした冷たくおいしい水。
採掘に使ったダイヤモンドをちりばめたロッドが今も、地中に取り残されているので、このような名前がついたそうだ。

ここでおいしい水を頂いて少し行くと、空から陽射しが降ってきた。
やった。天気が回復してきた。
美しく流れる銅山の川に映える、照らされた新緑がとても眩しく感じた。

さて、余談になるが、この別子銅山、石見銀山が世界遺産に登録されてから、密かに世界遺産登録を狙う動きがある。
久々に訪れると、突然登山道がびっくりするくらい整備されていた。
ただでさえ、何千人という人が住んでいた町の跡。道はしっかりしていたのだが、崩れた場所や老朽化した橋はすべてきれいに整備されていた。
工場の廃パイプを使った味のある橋が取り換えられたのは残念だが、年々老朽化が進んでいたので仕方がない。
第一通洞
登山道を少し外れると、銅山開発の遺構が見つけられる。
ここは「第一通洞」という、山を掘りぬいた坑道。
明治19年の完成で、1021mもの長さがある。
ここは南側の入口になるが、北側の入口前には駅があり、明治26年に完成する山岳鉄道の発着駅になっていた。
この中がどうなっているかとても気になるが、残念ながら厳重に封印・閉塞されていてその様子は伺いしれない。

また、この第一通洞の上部には2000坪の土地を谷間に造成し、500m以上も地下に掘り進んだ坑道を作った場所がある。
明治28年の完成した「東延」という場所には蒸気機関で地下から鉱石を引き上げる最新鋭の工場も建設されていた。
今も、その造成された石積みの谷間の下は暗渠となっていて、上流から流れてきた川が地下に通されている。
この東延はかなり荒れていて、人間が100年以上も前に造成した場所なので方々に穴があいている。
足もとが悪い今日は散策は控えておくが、レンガ造りの工場の跡や造成の跡、坑道の跡などが残っていて興味深い場所の一つだ。
歓喜坑
ルートに戻り登山道を進む。
途中道端に封印はされているが閉塞はされていない坑道が一つある。
漆黒の坑道の中から噴き出す生暖かい風は、それが地下深くまでつながっていることを感じさせる。

しばらくすると「歓喜坑」という坑道跡にたどり着く。
ここは別子銅山で初めて開かれた坑道。
ひと昔前は入口は老朽化でポロポロに壊れていたがきれいに昔の姿に修復された。
もちろん、厳重に封印されており、中には入れない。

この「歓喜坑」の上部に登山道がある。
ここは左へ進む「牛車道」がお勧め。
採掘した道を牛車に乗せて、はるか下界の新居浜市中心部まで下ろした古の道。
道幅が広く、傾斜も緩やかなので歩きやすい。

しかし、歩きやすいだけがこの道を進む理由ではない。
この道は、別子銅山独特の地形から発達した砂礫・岩石地帯の中を行く。
その風景はまるで森林限界を越えた信州の高山のようだ。
そしてそれは、探し求める花の絶好の生息域なのだ。
ツガザクラ
あった。注意して牛車道脇の岩肌を見ていると、小さく白い花が咲いているのがわかる。
これが「ツガザクラ」
注意していないとわからないくらいとても小さい。
ツガザクラ
その花の大きさは米粒大。
纏っている水滴の大きさが、その花の小ささを物語る。
雨上がりのツガザクラは宝石のような水滴を纏い、とても美しい。
青空の下の鮮やかな花もいいが、宝石のような花もまた素晴らしい表情を見せてくれる。
ツガザクラとアカモノ
さて、先ほど紹介した「アカモノ」と何が違うのか。
どちらの花も形も大きさもほぼ同じ。
だが、アカモノは茎や花の付け根がツガザクラに比べて赤い。
葉がツガザクラが松のような形に対して、アカモノは広い葉をしている。
写真の左側がツガザクラ。右側がアカモノである。
花期はツガザクラの方が早く、ツガザクラが終わると、アカモノが咲く。

しかし、このツガザクラが咲く場所には緑色の根のようなものがいっぱい横たわっている。
これはいったい何だろう?(画面左上から右下へ横切る緑の植物)
銅山越の送電鉄塔
銅山峰に到着。ここはこの山脈の峠にあたり、標高は約1300m。
昔は坑夫が重たい鉱石を担いでこの峠を越え、海のある新居浜市へ下っていたそうだ。
付近一帯は砂礫地帯のため、地形的に森林限界を超えているようで、まるでアルプスの山のような風景が広がる。
人口11万人の工業都市のすぐ上の山が、こんな風景になっているとは信じられない。
この峠を挟んだ新居浜市の向こう側はいくつものダムがある発電地帯。
何本もの送電線が今はこの銅山を越えて新居浜市の工場地帯に送られている。
まず、信州のアルプスではありえない、森林限界を越える場所に立つ送電鉄塔の姿は独特。
ツガザクラ
特に今年は時期が良かったのか、植物的な当たり年なのか。
それとも、厳重に保護されているツガザクラが生息域を広げているのか・・・
今までにないくらい、とても多くの株が花をつけている。
ツガザクラ咲く銅山峰
太陽が出るのを待っていたが、残念ながら深い霧に再び周囲は包まれた。
今年は残念ながら太陽の下のツガザクラは見れなかった。
一面に咲き誇るツガザクラ。こうやってガスに閉ざされると、本当に3000m近い山に来ているような気になる。
ツガザクラ
さて、残念だが、ツガザクラともお別れだ。
別れの辛さにツガザクラも泣いてくれているかの様だ。
東延下流の滝
ダイヤモンド水付近まで降りてくると、急に晴れ間が空に広がった。
あ~あ、あと30分待っていればよかったなぁ。いつもこうである。
ふと見上げると、岩肌から流れ落ちる滝がどこかのテーマパークを思わせる。
しかしこの滝の上部は、先ほど訪れた通洞や造成地の暗渠から導かれた人工の川。
さながら人口の滝で、その下部は崩れた石垣となっている。
川にせり出すカラミ跡
登山道沿いに流れる川にも銅山開発の面影が。
川にせり出した岩は、銅を精製した際にできた鉱石のクズが固まったそうだ。
その上を雨水が滴り、川に落ちている。

雨上がりの別子銅山はとても気持ちよく、普段とは違った表情と気持のよい香を僕に届けてくれた。

別子銅山のルート図

【別子銅山】
■My評価(5段階)
★★★★★(5.0
)

2008年4月23日 (水)

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保内町川之石・赤レンガ倉庫と「もっきんロード」 【愛媛・四輪・ファミリー】

愛媛県はその場所を高校生に最も知られていない県のひとつである。
先日、新聞にこんな記事が載っていて、愛媛の県庁所在地・松山に住む僕としてはとても驚いた。
日本最古の温泉の道後温泉などで名前は知れていると思っていたのだが・・・
さて、そんな愛媛の中心である松山だが、愛媛で文明の明かりが初めて灯ったのは意外にも松山ではなかった事を最近知った。
住んでいる僕でも最近知ったのだから、全国的には全く知られていないのは間違いないだろう。

八幡浜市保内町。四国一の水揚げを誇る八幡浜港を有する漁業の町の一角に、文明開化の音が愛媛で最初に鳴り響いた。
旅情を感じる昔ながらの港町に、当時の繁栄の面影を今に伝える街並みが残っている。
その歴史を探しに、保内町川之石を訪れてみた。
美名瀬橋と赤レンガ倉庫
海から川を少し遡ると見えてきたのが美名瀬橋(みなせばし)
昭和8年に造られた橋で、当時は橋の親柱には灯篭があり、火がともされていたという。
老朽化のため平成10年に改修工事が行われたとはいえ、今もまだ当時の面影を色濃く残す。
もっきんロード
東洋紡績赤レンガ倉庫跡
美名瀬橋の向こうには、とてもレトロな赤レンガの建物が残されている。
東洋紡績(当時の宇和紡績)は、明治20年に愛媛県で最初に設立された紡績会社で、四国で初めて電灯が灯った場所。
昭和35年に閉鎖したが、赤レンガ倉庫は今も残り、当時の華やかな時代の面影を今に伝える。
特に夕暮れ時、夕日を浴びた赤レンガはレトロな雰囲気をより一層深め、とても美しかった。
東洋紡績赤レンガ倉庫跡
赤レンガ倉庫の横、川沿いの道は木道のような遊歩道が整備されている。
ここは「もっきんロード」という愛称で地元の人に親しまれているようだ。
確かに、ずらりと横一列に並べられた木の板は、木琴のようにも見える。
木琴のそれとは言い難いが、歩くと優しい木の音が響き、とても気持ちいい。
全長350m、幅4m
地元の高校生や犬の散歩をする人が行きかうこの道は、とても旅情があふれるいい場所だった。
保内町の町並み
美名瀬橋から見る保内町川之石の町並み。
ここ以外にも、赤レンガの通り、公会堂や洋館など、味のあるレトロな建物がこの周辺には残っている。
今はとても静かなこの町。
しかし130年ほど前には、愛媛で最初の銀行(伊予銀行の前身)が開業するなど、産業の中心として栄えていた。
時間があれば、ゆっくり町の中を散策して、当時の繁栄の面影を探してみるのも面白い。

【保内町川之石の赤レンガ倉庫と「もっきんロード」】
■My評価(5段階)
★★★(3.0)

場所 愛媛県八幡浜市保内町川之石
交通 松山自動車道大洲ICより車で約35分
駐車場 なし

2008年4月18日 (金)

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弓削神社の屋根付き橋 【愛媛・四輪・ファミリー】

石畳の里の風景
山の上に広がる穏やかな里山風景。
山の下から幾重にも重ねられるように田畑が積み重なっている。
木蝋生産で栄えた歴史の町である愛媛県内子町。
その中心から車で30分ほど走ると、とても美しい里山がある。
ここが内子町の「石畳地区」
地元の人の景観保護の意識は強く、春になると里山は美しい草花一面に彩られる。
先日訪れた、地元の人が枯死寸前から息を吹きかえらせた「石畳東のしだれ桜」から花に彩られた里の道を散策する。
弓削神社前の公園
少し歩くとのはずれに、大きな枝垂れ桜に覆われた公園がある。
枝垂れ桜の下にはブランコが。残念ながら老朽化のためか、座席は取り外されて遊具としての機能は失われている。
しかし、その桜の花に包まれた骨格の向こう望む石畳の里の風景はとても美しい。
弓削神社
その公園の向かいの池に、とても不思議な橋が架かる。
ここは「弓削神社」
1396年に創建されたと伝えられている。室町時代から続く神社だからとても歴史がある。
この地に室町時代から人里が開かれていたというのにも驚きだ。
弓削神社・屋根付き橋
弓削神社に続くこの橋の名前は「太鼓橋」というそうだ。
橋長23m、幅員1.7m。
現存する橋は昭和26年に架け替えられたものだそうだ。

この独特の橋は「屋根付き橋」と呼ばれる。
この屋根つき橋はこの内子町周辺にはいくつもあったそうだ。
生活道や参道として造られた橋で、雨露しのぎや収穫物の倉庫、地域の集会所のような役割も果ていたうだ。
今も屋根付き橋はこの地域にいくつか現存し、地域の人々の生活の一部として利用されている。
この石畳に内子の町中から向かう道の途中にも、田丸橋という1本の屋根付き橋がある。
集落と田畑をつなぐようにつくられた橋は、今も地元の人の野良作業の道となっていた。
弓削神社・太鼓橋
橋を渡って弓削神社へと参る。
その歴史ある独特な橋を渡るだけで、とても心が洗われ厳粛な気持ちにさせられる。
橋の上から眺める石畳の里の風景はとてものどかで美しく、日本の原風景の中に抱かれていることを実感させられる。
思わずここに腰をおろして、のんびりとくつろぎたくすらなる不思議な空間だった。
訪れたのは気持ちいい晴れの日だったが、雨の日もまた雰囲気がよさそうだ。
霧に包まれた里を眺め、雨音を聞きながらのここでの雨宿り。神々に出会えそうなシーンだ。
昔の人がここでもしかしたら寄り合いをしていたというのも納得できる。
日本人の眠る美しい心に触れられる、素朴で映しい場所だった。そ

【弓削神社】
■My評価(5段階)
★★★★(4.0)

2008年4月 9日 (水)

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鎌倉大仏・鎌倉ウォーキング 【神奈川・電車・ソロ】

「佐助稲荷」より閑静な住宅街を歩くこと約20分。「高徳院」に到着した。
「高徳院」には有名な「鎌倉の大仏」がある。
やはり鎌倉に来たのなら、ここは見ておきたかった。
しかし、先ほど訪れた「銭洗弁天」や「佐助稲荷」とは比べ物にならないほどの観光客がここを訪れている。
さすがに鎌倉を代表する名所だ。
鎌倉大仏
参拝料を払い、山門をくぐると、すぐにその御姿が現れた。
鎌倉の大仏様だ。
僕は奈良で育ったので、東大寺の大仏様にはよくお参りした。
それだけに、鎌倉の大仏様と比較するのは、その奈良の大仏様になる。

遠くから大仏様を眺めると、、お参りする人と比べてその大きさがよくわかる。
鎌倉の大仏様の高さは約12m。
奈良の大仏は15m弱なので、比べると少し小さくいが、それでも青空をと山を背にした鎌倉の大仏さまの迫力は相当。
見上げる鎌倉大仏
見上げた大仏様。立派なお顔をされてらっしゃる。
「大仏殿」はここにもあったそうだが、15世紀末の津波で倒壊してから再建されていない。
津波でも倒壊しない大仏様はさすがに立派だが、長年の風雨、特に最近の酸性雨で、かなりダメージがあるそうだ。
そういえば、奈良の大仏殿は世界最大級の木造建築。
大仏様の大きさもすごかったが、その大仏殿の大きさにいつも驚かされてもいたのだと、あらためて感じる。
大仏様のうしろ姿
おや?
大仏様の背中にファスナーならず窓が開いている。
こんなものは、奈良の大仏にはない。
胎内めぐりへ
実は鎌倉大仏の中には「胎内めぐり」として入ることができる。
大仏様をこの角度で見上げる場所に入口がある。
20円を受付で支払い、台座に設けられた入口から、大仏様の中に入っていく。
大仏様の胎内、頭部
大仏様へ続く通路はせまく真っ暗。
人のすれ違いもままならない。いっぺんに30人を超える人が入ることはできない。
手探りで進むと、そこは大仏様の体の中。
見上げると、ぽっくり穴が開いていて、その中に「螺髪」が見える。
あの空間が大仏様の頭の中だ。
大仏様の胎内の窓
大仏様の体の中には窓から光が差し込む。
先ほど開いていた大仏様の背中の窓は、この中に入るための明かり窓だったようだ。
大仏様の中は銅に覆われた、少し薄暗く、とても音が響き渡る空間。
それでもその中で住めそうなくらい、しっかりしている。
このように、この大仏様の内部に入れてしまうことには驚いた。
奈良の大仏様の中には入れないが、このように空洞になっているのかな?

ちなみに奈良の大仏は何度も改修されていて当時の姿をほとんど残していない。
しかし、鎌倉の大仏様は、建造当時の姿のままだそうだ。
と、いうことはこの大仏様の内部も建造当時のままだろうか?
一部補強や耐震器具がつけられているが、それでもこのようなものが今から800年近く前に造られたことには驚かされる。

この仏の中という、不思議で神聖な空間でゆっくりと瞑想でもしてみたかったが、残念ながら電車の時間が迫っている。
僕は大仏様の中から飛び出し、江ノ電の駅へと急ぎ足で向かうことにした。

【鎌倉大仏(高徳院)】
場所:神奈川県鎌倉市長谷4-2-28
電話:0467-22-0703
拝観料:200円(小学生以下150円)
     胎内めぐり20円
休み:無休
時間:7:00~18:00(10~3月は~17:30)
交通:江ノ島電鉄長谷駅から徒歩7分
駐車場:なし

鎌倉あるき地図

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2008年4月 8日 (火)

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佐助稲荷・鎌倉ウォーキング 【神奈川・電車・ソロ】

最初に訪れた銭洗弁天が予想以上に僕のツボにはまったので思わず長居してしまった。
急ぎ次の目的地、「鎌倉の大仏」を目指すが、その途中にせっかくなので寄り道したいところがある。
それが、「佐助稲荷」だ。

銭洗弁天から来た道を戻る途中の別れ道に小さな標識がある。
それを頼りに「佐助稲荷」を示す方向に右折して、細い道を西へ向かう。
古い佇まいを残す閑静な住宅街を゜進むと、目の前に山の上へと続く赤い鳥居が連なる道が現れる。
ここが「佐助稲荷」である。

参道はそう長くはなく、5分もあれば境内へとたどり着ける。
そんな小さな稲荷ではあるが、深い森に囲まれ、古からのちに鎮守するここは、とても幻想的な雰囲気がある。
一歩一歩鳥居をくぐって参道を登るにつれ、深い神秘に包まれた場所へと導かれるようだ。

たどり着いた境内。
少し怖そうな顔をした狐、そして時代を感じさる狐。
幽玄な境内からはさらに山の上へと道が続いている。
狐が誘う道は、山の中を大仏様へ向かうハイキングコース。
しかし、本当に大仏様にたどり着けるのか。この世でないどこかに連れて行かれそうな気がする。
この佐助稲の稲荷は、源頼朝に挙兵を勧めたという言い伝えがある。
確かに、この道を行けと、稲荷に勧められているような気がしてたまらない。
この道は本当はどこに続いているのだろうか?行けばわかる?

スーツ姿でハイキングはさすがにと、稲荷の勧めを断って元来た道を戻る。
稲荷の勧めた道も目指す大仏様につながっているはずなのに・・・
この辺が源頼朝公と違って、僕が大物になれないところだなぁと、ひとり苦笑い。

参道を下っていくと、突然頭上の木々を何か小さなものが動いている。
よくみると、リスだ。
とても小さなリスが、身軽に木の上を走りまわっていた。
深い森があるとはいえ、住宅街の近くにリスが住み着いているのには驚いた。
リスは餌付けされていてこの稲荷に住み着いているらしい。

小さな稲荷様たが、どこかへと誘われそうになる神秘的な場所だった。
さて、神秘的な世界を抜け出したら、閑静な人の住む町を通って大仏様へと向かう。

【佐助稲荷】
場所:神奈川県鎌倉市佐助2-22-10
電話:0467-22-4711
参拝料:無料
交通:JR横須賀線鎌倉駅から徒歩25分
駐車場:なし


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2008年3月31日 (月)

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金刀比羅宮の桜 【香川・四輪・グループ】

今年の四国の桜は遅い。開花は例年通りだが、ゆっくり花びらを開いている。
まだちらほらとしか桜が咲いていない中、「こんぴらさん」として有名な金刀比羅宮を訪れた。
金刀比羅参道入口の桜
境内入口の参道は、一面の桜のトンネル。
まだ満開ではないが、それでもとても美しい。
多くの人が、青空を覆うピンクのヴェールを愛でながら、ゆっくりと長い階段を登っていく。
金刀比羅本宮から眺める讃岐平野
785段の階段を登り切ると本宮にたどり着く。
本宮からの眺めは、美しい讃岐平野の一望。
瀬戸大橋や讃岐富士も眺められる。
讃岐平野にも緑が眩しく輝き始めた。この季節のうどん巡りはとても気持ちがよい。
この風景でまだ満足できない方には、さらに階段を583段登り、奥社に向かうことをお勧めする。
その風景の素晴らしさは、この本宮からのそれよりもさらに感動的なものだ。
金刀比羅の桜1
桜の木の下で、みんな記念撮影。寺社を彩る桜は日本の美。とても美しい。
桜の季節、金刀比羅を訪れる人はとても多かった。
金刀比羅の桜2
どこからともなくウグイスの鳴き声。
待ちわびた春の陽気に、訪れる参拝客の足取りも皆、軽かった。

金刀比羅宮の地図

◆金刀比羅宮の詳しいレポートはこちら

2008年3月20日 (木)

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長浜大橋・日本最古の現役道路可動橋 【愛媛・サイクリング・ファミリー】

長浜大橋・東より
「夕やけこやけライン」で伊予長浜を訪れたら、訪れてみたい場所はここ。
「長浜大橋」だ。
橋長226m、愛媛一の河川、「肱川」の河口にかかる赤がまぶしい立派な橋だ。
昭和10年に完成した歴史ある鉄橋だが、この橋は日本最古のある特徴をもった橋である。
この橋は現役のものとしては、日本で最も古いバスキュール式(跳ね上げ式)の道路可動橋である。
橋の中心部が跳ね上がり、その下に船舶を通すことができる。
長浜大橋より望む肱川上流
長浜大橋から望む肱川上流方面。
深い山々を割り、ゆっくりと流れる悠久の大河。
愛媛県最大の大河の河口にも関わらず、町は大きく発展していない。
そのため、付近には豊かな自然が残っている。
日本ではなかなか見られない、どこか懐かしく、それでいて新鮮な風景だ。
レトロを感じる長浜大橋
どこかレトロな雰囲気を残す鉄橋。
建造から75年近く経過してもなお、今も地元の人からは「赤橋」と呼ばれて親しまれている。
長浜大橋稼働部分
ここが可動橋の稼働部分。道路がここから跳ね上げられる。
白い建物は操作室。
残念ながら現在の橋の稼働は、点検を兼ねて日曜日の13時から週に1回行われるだけである。

昔はここ伊予長浜は、この肱川を下ってくる木材などの集積地としてとても栄えていた。
上流には伊予の小京都と呼ばれる城下町の大洲があり、その交流で愛媛の中でも有数の規模を誇った町だったそうだ。
しかし、そしてこの肱川沿いに鉄道が敷かれ、陸運が発達するとこの橋の役目は終わった。
当時は頻繁に跳ね上がり船を通していたこの橋の機能も、今では通過する大きな船はなくなり、不要となっている。
それでも現在のこの橋は時々跳ね上がり、そして冬には「肱川あらし」の中に浮かんで、多くの人をこの町に人を呼ぶ目玉として機能している。
長浜大橋から望む新長浜大橋
長浜大橋から海の方を眺めると、コンクリート製の立派な橋がかかっている。
橋長333mの「新長浜大橋」である。
夕やけこやけライン、国道378号線はあちらの橋を渡り、夕日を追うようにさらに西を目指す。
この肱川を渡る橋としての役目は、今はあの新しい橋が担っている。
長浜大橋と長浜商店街
地元の商店街に直結する長浜大橋。
「新」長浜大橋がかかっても、こちらは地元の足として、今も多くの人と車が行き交う。
幅は5.5mあるので橋上での離合は何とかできるが、入口はポールを立てていて大型車が入れないようにしている。
ポールの幅は2mくらいなので、普通車なら少し気をつければ難なく通り過ぎられる。
車で訪れたのなら、一度はここを走ってみたい。

また、長浜商店街はどこか懐かしい雰囲気の通り。
少し歩いてみると、昔は賑やかだった面影を残す、静かな港町の旅情を感じることができる。
長浜大橋・西側より
肱川の上流の大きな町は大洲市と西予市があるが、いずれも人口5万人程の町。
しかも平成の大合併で相当広い市になっているので、流域にある町の規模はさほど大きくない。
そのため、肱川の流れもここ下流までも美しく豊かな自然が残っている。
流れる川をのぞきこむと、すきとおった水の中にはいっぱいの魚が泳いでいる。
色濃く残る自然と歴史を感じる、美しい場所だった。

【長浜大橋】
■My評価(5段階)
★★★☆(3.5)

場所: 愛媛県大洲市長浜
料金: 無料
駐車場: 橋の東側に駐車スペースあり(3台ほど)
交通: 松山自動車道・伊予ICより国道378号線を約30分
     松山自動車道・大洲ICより県道24号線を約20分
    JR予讃線伊予長浜駅より徒歩約10分
橋の開閉: 毎日曜日13時

長浜大橋の地図

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【KUMA.のホームページでのレポートはこちら】

2008年3月16日 (日)

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佐田岬(四国最西端) 【愛媛・四輪・ファミリー】

佐田岬(さだみさき)半島。
四国本島から50km近くも西に細長く延びる日本一細長い半島である。
本州最南端・九州の「佐多岬(さたみさき)」と混同しそうな地名である。
この半島の先端にはその名の通り「佐田岬」があり、ここが四国の最西端である。

佐田岬への道は八幡浜市から国道197号線・通称「佐田岬メロディライン」を西に約40km。
左と右、両方に海を見下ろし、風車が何十基も立ち並ぶ風景の中を走る全線2車線の快走路。
その終着点三崎町から細い県道を走ると、佐田岬に到着する。

佐田岬周辺の道は細く、大型バスなどの通行はできない。
普通乗用車同士でも離合に注意しながら進む。
着いたのは小さな駐車場。
しかも、2008年2月現在、この駐車場は崩落のため、再建工事中。
有料で提供されている民家の庭先か路肩に車を止めることになる。

しかし、佐田岬はほとんど観光地化されていてない。
バスが入れないこともあれば、駐車場も失った状態。
周りには民家しかなく、土産屋などは皆無。
九州の佐多岬にも行ったことがあるが、あちらは相当観光地化されている。いや、正確に言うと「いた」
大きな売店は廃屋と化し、小さな売店が細々と営業しているだけだった。
こういった「最○端の地」というのは、あまり観光客が集まらないのだろうか?

こにはトイレと自動販売機といった簡単な施設のみある。
遊歩道入口にはおばあちゃんが露店を出していて、帰ってきた観光客を激しく呼び込む。
みかんや海産物など、この土地の名物で、この付近には土産屋やちょっとした店は皆無に等しい。
四国の端まで来たのだから、ちょっとその味を味わってみるのも良いかもしれない。
佐田岬への遊歩道
さて、佐田岬灯台へと続く遊歩道を歩きだす。
温暖な海岸沿いに見られる独特の植生の森を歩く。遠くに聞こえる潮騒がとても気持ちいい。
距離は約1.8km。歩きやすい道ではあるが、いったん海まで降り、また灯台まで登り返す。
なかなか高低差のある道である。ヒールなどではかなりきつい。
夏場などに行くと相当暑く、灯台には売店がないので必ず水は持っていくようにしよう。
遊歩道の入口と、海へ降りるまでの森の中には、なぜか何台も自動販売機が並んでいる。
佐田岬灯台キャンプ場
遊歩道の途中、遊歩道を下りきったところに「佐田岬灯台キャンプ場」がある。
シャワー・トイレ完備で、小さなバンガローが立ち並ぶ。
オープン時期は7、8月のみで、夏場は売店も出て、海水浴客で賑わうそうだ。
キャンプ場の左手には、戦跡(司令部跡だったそうだ)を利用した売店施設がある。
このキャンプ場は車で入ることはできないので、注意。

この場所は一番海に近く、風が潮騒とその香りを色濃く運んできてくれる。
険しい岩肌がそびえる海岸にもすぐに降りることができる。夏場はシュノーケルなどすれば気持ちさそうだ。
さあ、ここからは登りだ。
山の頂上に向かえば展望台、その山を巻く道を進めば灯台にたどり着ける。
クマがどこかに隠れています
南側の海を見下ろす。
この佐田岬半島を隔てて北は瀬戸内海、南は宇和海となる。
瀬戸内海より宇和海のほうが海は南国の様相を呈し、水は青く透明になる。

さて、余談ですが、この写真の中に「幸せなクマ」がいます。
近くの道の駅のパネルに紹介されていたのですが、どこにいるかわかりますか?
答えはこの記事の一番最後にあります。
灯台へ続く道
灯台へと続く道。
訪れたのは2月だが、それでも緑がまぶしく、まさに常夏の様相。
ここはとても温かい場所である。

道沿いには先ほどのキャンプ場の戦跡もそうだが、所々古い施設の跡が残っている。
ここ佐田岬には旧陸軍の「豊予要塞」があったそうだ。
遊歩道を1歩はずれ、森の中をさまよえば、今も眠る弾薬庫や地下施設に出会える。
ただし、相当危険な場所が多いようなので、注意が必要。
佐田岬灯台
さて、佐田岬灯台に到着した。
青空に映える白亜の灯台。遊歩道から階段を登れば、その下にたどり着ける。
佐田岬灯台より見下ろす海
灯台から見下ろす。
海が澄んでいてとてもきれい。前日に大雨が降ったので、普段はもっときれいだ。
写真右の陸地は大島という島で、コンクリート製のいけすで陸つながりになっている。
ここには三崎漁協の施設。
三崎漁協といえば、「岬アジ」「岬サバ」のブランドで有名だ。
全国的には「関サバ」「関アジ」のほうが有名だが、実は全く同じものなのである。
この海で泳ぐサバ、アジを九州(佐賀関)で水揚げすれば「関」四国(佐多岬)で水揚げされれば「岬」の名を冠される。
「岬」のほうが知名度が低いので、相場は安いようだが、おいしさは全く同じなのだ。

三崎漁協が運営する「三崎漁師物語り」の本店がこの佐田岬の近くにある。
帰り道に、岬アジ、岬サバの味に舌鼓を打つのもいいだろう。
松山市内にも同漁協の同店名のアンテナショップがあり、こちらでも相当おいしい魚をとてもお手軽価格でいただける。
佐田岬より望む佐賀関
ここ「佐田岬灯台」の売りは、天気が良ければ九州が見れるということ。
この日はとても天気がよく、九州・佐賀関がとても近くに見えた。
聳え立つ煙突は、佐賀関の日鉱金属のものだろう。

ここ佐田岬と佐賀関の間の海が狭まったところが豊後水道。
激しい潮の流れに揉まれ、魚がおいしく育つ。
ここは絶好の漁場なのである。
豊後水道の流れ
大島の岩の上には、石碑が建つ。
この要塞の工事中に兵士が何人か事故死しているらしい。その慰霊碑だろうか?
この灯台の足元の崖にも、今もトーチカがぽっかりと海に向かって穴をあけている。

大島の向こうの青い海には轟音と共に潮が流れている。
絶好の漁場と呼ばれる豊後水道の、形なき姿さえもここでははっきりと見える。
豊予要塞の跡
コンクリートの生簀へと降りていく階段。
その階段付近には、何か建物があったような基礎がいっぱい並んでいる。
ここが戦時、軍事施設があったことを強く思わせる。

さて、灯台付近を散策したら、今度は椿山頂上の展望台に向かう。
ここからは歩いて10分ほどで到着する。
佐田岬の戦跡
展望台を目指していると、山の山腹で戦跡に出会う。
山肌をくりぬかれてコンクリートで固められた横穴。
ここには移動式のサーチライトが格納されていたそうだ。
この戦跡の周りには、山肌をぐるっと1周する道が作られている。
戦時はここにレールがひかれ、サーチライトを載せて360度、光を照射できたとか。

この戦跡の横にある階段をもう少し登れば、頂上。
白い藤棚があり、そこから眺める青い海は、エーゲ海を思わせる雰囲気。
佐田岬灯台と佐賀関
展望台から眺める佐田岬半島と、九州・佐賀関。
とても気持ちのいい風景。
一番西の端とはいえ、僕が住む四国はこんなにも九州にの近かったのかと驚かされる。

冬とは思えないとても温かな日差しと、冬の澄んだ空気が見せる遠くの景色。
最高の風景が、眩しい陽光に青くそれめられて目の前に広がっていた。


正解:幸せなクマ 温泉に入ってそうなクマ
さて、先ほどの「幸せのクマ」の正解です。
が道の駅のパネルで見たものです。確かに気持ちよさそうに岩の上で寝そべって日光浴しているように見えます。
しかし、私的には、の温泉に入っているように見えるクマのほうが気持ちよさそうなんですが・・・(笑)

注意:戦跡に関する情報はネット上で収集いたしました。公式な記録ではないことをご了承ください。

【佐田岬】
■My評価(5段階)
★★★★★(4.5)

場所:愛媛県西宇和郡伊方町三崎
交通:松山自動車道大洲ICから国道197号を伊方方面へ車で約70km、徒歩20分
駐車場:仮設のみ・有料(2008年2月現在崩落した観光用駐車場の修復作業中)
付帯施設:トイレ・自販機・おばあちゃんの露店
料金:無料

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2008年3月13日 (木)

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愛媛おすすめドライブルート 【愛媛県・四輪・ファミリー】

愛媛県で一番気持のいいドライブルートは?
そう聞かれると、僕は迷いもなくこのドライブルートをお勧めする。

松山自動車道・伊予ICを起点にし、国道378号線(ゆうやけこやけライン)国道197号線(佐田岬メロディーライン)を走る、全長約90kmのルート。
愛称を冠した美しい風景を貫く国道を走り、四国最西端の佐田岬を目指すルートだ。
道もとても良く、信号が極端に少ないうえ、交通量も少ないので法定速度をキープできる、ストレスのないのがうれしい。
同じ道を往復するが、時間によって全く違う顔をする素晴らしい風景を楽しむのも、このルートの醍醐味である。
そして、このルートが最もお勧めな時期は春。菜の花、そして桜が咲く時期が一番よい。
今回このルートを久々に走ってみた。その魅力をお伝えしたいと思います。
ルート地図
伊予ICを出発して、国道378号線で小さな峠を越えると、目の前には海が広がる。
海岸線沿い、海とほとんど同じ高さで走り抜ける道はとても気持ちいい。
そして、この道にはJRが並走しているが、この路線がとても気持ちいい。
菜の花路線
【ゆうやけこやけライン・菜の花咲き乱れる線路】
春には、このJRの線路の土手は一面の菜の花に覆われる。
走るたびに、鮮やかな一面の黄色が何度も何度も窓ガラスから飛び込んでくる。
思わず立ち寄らずにはいられない。

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下灘駅
【ゆうやけこやけライン・「下灘駅」】
映画やドラマのロケ、ポスターなどによく使われる、「海に最も近い駅」とされる下灘駅
そのロケーションは最高である。

◆下灘駅の記事◆

国道378号線は伊予長浜の市街地を通過して、さらに西を目指す。
ここからは険しい海岸線をアップダウンを繰り返す。
八幡浜市保内町に出たら、ここからは国道197号線で佐田岬へ向かう。
メロディライン
【メロディーライン】
細長い佐田岬の山の上を貫く、全線2車線の快走路。
左にも右にも海を見下ろせ、巨大な風車が乱立する中を走っていくのは、最高。
信号もなく、途中に道の駅が2つあり、全長約40kmの素晴らしいドライブルートである。
佐田岬へ向かう県道
【佐田岬へ向かう県道
三崎町の中心街で国道197号線は終了する。ここからは県道で佐田岬を目指す。
県道は1~1.5車線の狭路。交通量は少ないが、慎重に運転したい。
それでも、その風景は最高である。
途中、点滅信号が1か所ある。
どちらの道でも佐田岬に行けるが、信号を左方向に行った